苫小牧食い倒れ(4)~番外編@羽田、日本人の歪んだ相場観

<前回>

 新千歳発の国内線の羽田乗り継ぎでマレーシアへ帰還する。羽田発クアラルンプール行きのエアアジアD7 523便は、1時間半以上の遅延、翌日未明1時20分の出発となる。空港内でゆっくり夕食を取ろうと、焼肉店「チャンピオン」へ向かう。

羽田空港・焼肉店「チャンピオン」にて

 連日の魚食いで、肉が恋しくなったからだ。「チャンピオン」は悪くない店だが、なぜか和牛ばかりで、私の好む赤身がない。ただ、外国人客には確かに「Wagyu」ブランドがセールスポイントであるから、文句を言うつもりはない。店内を見渡すと、外国人客は7割以上も占めている。

 「ニセコ相場」の話をしたが、昨今の日本では、徐々に内外消費者セグメント別の二重市場・二重価格が出来上がりつつある。外国人相場が高いというよりも、日本国内消費者向けの相場が不当に安すぎるのが問題である。

某店の特上握り寿司はなんと1280円

 日本社会の場合、「安=善」「高=悪」という固定観念がある。それはつまり、消費者はほぼ無原則に守られるが、生産者は無視されている。

 消費者は際限なく、より安い価格、より高い品質を求める。生産者はその欲望を満たすべく、懸命にコストを下げようと努力する。しかし、コスト削減には限界がある。日本は安いというが、明らかに利益が異常に(不当に)薄い商品(財・サービス)ないし原価割れの商品も多く売られている。しかし、誰もが不思議に思わない。安くて良い商品を嫌う人はいないからだ。

 コストが不当に削減された分は、必ずどこかにしわ寄せをする。生産者の自社や他社、ないしサプライチェーン全体が従業員の賃金を切り下げ、従業員によりきつい労働を求めざるを得ない。あげくの果てに、ブラック企業にほかならない。つまり、しわ寄せを最終的に受けるのは、末端の消費者個人である。

 日本人は、給料が安いことに不満を垂れながらも、物価の安さに文句を言わない。物価が安いのは、給料が安いからだ。給料が安いのは、物価が安いからだ。その「自食」関係には気づかない。給料も物価の1種であるからだ。

 日本の物価安・資産安・通貨安でもっとも利益を得ているのは実は、日本人でなく、外国で稼いで日本で消費する外国人観光客や、そして外国人投資家なのだ。

 日本人よ、それでも「安さ」を追求するのですか?

苫小牧・居酒屋「なか善」にて

<終わり>

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