「幸せな人を見たら殺したい」、物騒な日本社会はどこへ行く?

 電車内の刺傷事件。東京都世田谷区を走行していた小田急線の電車内で8月6日夜、複数の乗客が切りつけられる事件があった。殺人未遂容疑で逮捕された男は「幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思った。誰でもよかった」と犯行の動機を語った。

 「幸せな人を見たら殺したい」というのは、ごく稀なケースだが、「幸せな人を見たら妬みたい」「幸せな人を見たら呪いたい」「幸せな人を見たら引き摺り下ろしたい」といった傾向は、日本社会で大変普遍的なものである。そして、殺意は、極度な妬みから芽生えたものだということも看過できない。

 裏返せば、もし周りのみんな全員が不幸せだったら、今回の事件はなかったのかもしれない。日本社会の根底に横たわる「みんなが一緒」というルサンチマン根性、これほど変態で、恐ろしいものはない。

 「私は幸せだ」と言えなくなった、幸せそうに振舞えなくなった日本社会は、世界一不幸な社会といっても過言ではない。コロナ後の日本社会は、格差、そして幸と不幸がより鮮明になってくるだろう。このこと自体が社会の不安要因になりかねない。

 多くの日本人に分かっていないことがある――。幸せは生まれるものではない、見つけるものだ。そんなことも知らない人は、不幸のどん底に陥って当然だ。

タグ: