またもや選挙だ。
米国では、トランプがあっての共和党だ。個が党を規定する。一方、日本では自民党があっての高市であり、党が個を規定する。米国は「誰を選ぶか」を問うが、日本は「どの党に属しているか」を選ばされる。この構造差を理解しないと、日本政治の劣化は見えない。
本物の極右であれば、私は支持する。しかし、幻想的な愛国スローガンだけを振り回す偽右よりは、現実路線の「中道改革連合」のほうがはるかにマシだ。私は野田氏・斉藤氏を支持する。これは左への転向ではない。私は保守本流だ。
いま保守を自称する人々に言いたいのは、右か左かという記号遊びを続けている余裕は、この国にはもうないということだ。貧困化が進む日本を維持するために必要なのは、気分の良い「毅然」ではない。財政、産業、雇用、安全保障を同時に扱う現実路線である。
高市自民党の「日本を強く豊かに」というスローガン自体に反対する者はいない。反対できない。しかし問題は順番だ。強さとは軍事力、経済安保、サプライチェーン、技術主権、資源確保であり、すべて金の世界だ。初期投資は数十兆円、維持費は恒常支出。これは覚悟ではなく請求書の話である。
一方、豊かさとは家計の可処分所得、実質賃金、生活の安定、将来不安の低さだ。ここが壊れると国家は内部から崩れる。強さを先にやれば、税か国債で賄い、金利上昇、円安、物価高という連鎖で国民を貧しくして国を守るという本末転倒が起きる。
歴史は単純だ。豊かな国はあとから強くなれる。貧しい国が先に強くなろうとすると、だいたい破綻する。強さは結果であって出発点ではない。経済基盤が痩せたまま安全保障だけ膨らませるのは、借金して金庫を買うようなものだ。
戦後日本の選挙は、かつては徹頭徹尾、経済の話だった。成長、雇用、賃金、物価。だが経済で勝てなくなると、政治はイデオロギーに逃げた。経済という下部構造が壊れると、思想という上部構造が騒がしくなる。イデオロギーが前に出る社会は、成熟ではない。貧困のサインだ。
国家とは目的ではない。生活を回すための装置である。庶民の生計を国家の中心に置けない国家主義は、主義ではなく自己満足にすぎない。





