「フェイクニュースを流してごめんなさい」というフェイスブック友人のお詫びが投稿されていた。新型コロナウイルスについて「お湯を飲むことで予防できる」としたデマ情報が2月下旬、SNSで拡散していた。
ご丁寧に謝罪までするとは、立派な人格者で尊敬に値する。ただ、私は特に謝らなくてもいいと思う。世の中程度の差こそあるものの、フェイクたる情報が溢れている。そもそも何が真実かという問いが常に付きまとっているくらいだ。故に、免疫力というか、フェイクを見分ける力を鍛えたほうがよほど自分のためになる。
フェイク情報は実はとても役に立つのだ。たとえばこの「お湯デマ」の場合、少なくとも1つの問題意識を持たせてくれたはずだ。それは「新型コロナウイルスが熱に弱い」という命題である。ちょっと待ってよ。本当に熱に弱いのか、あるいは逆に強いのか。さらにいうとウイルスの熱耐性はどんなものか、それが変異で変わるのか……などなど。掘り下げて勉強するヒントを与えてくれたのはこのデマ情報だった。
ここまでくると、人間には「デマ抗体」ができあがる。デマ抗体をもつ人が社会に多ければ多いほど、デマが通用しにくくなる。デマが通用しにくくなればなるほど、デマが減り、社会の健全化につながる。
デマを作り出す人は、デマが流れることで何らかの利益を得る。誰が何の利益のために、どんなデマを作るのか。この分析も頭の体操になる。さらにデマが広がらなければ意味がないので、人々がどんどん広げてくれるような仕組みが必要だ。その仕組みを考え出すのも知力活動である。そこから少なからずヒントを得ることができる。
このように、デマは精巧な技術品あるいは芸術品であれば、それなりの栄養が凝縮されている。その栄養成分だけを吸い取ってあとはポイ捨てすればいい。このような使い方もあるわけだから、ある意味でプラス思考的にデマ情報と付き合っていきたい。
偏向報道も然り。そもそもまったく偏向のない報道があるのだろうか。どんなメディアであれ、イデオロギー的な部分もあれば、利益が絡んでいたりすることも多々ある。だから、偏向は当たり前。偏向を批判するのも必要だが、実務的に偏向を見分ける力を読者・視聴者が身につけることがよほど有効ではなかろうか。偏向の酷いメディアはそのうち自然に凋落していくだろう。
ちなみに、お湯を飲むことでウイルスを予防できないものの、お湯を飲むことは悪いことではないので、予防を怠らずに、お湯を飲めばいいのである。