日本は「失われた国」ではない、経済だけが先に通常国家へ戻ったという現実

 日本は長らく「失われた30年」「失われた40年」と語られてきた。しかし、いま起きている現象を冷静に見ると、別の見方のほうが整合的である。日本は衰退しているのではなく、経済だけが先に「通常の国家」に戻りつつある。異常だったのは、むしろ戦後の日本そのものだったのではないか。

 戦後日本は、軍事と政治を大きく制限された一方で、経済だけが突出して肥大化した国家だった。安保は米国依存、外交は受動的、軍事は抑制的。その代わりに、輸出主導・高成長・終身雇用・超低金利という、世界的に見てもきわめて特殊な経済モデルが成立した。経済成長そのものが戦後日本の「例外状態」だったと言ってよい。

 この例外が終わったのが、いわゆる失われた30年である。だが、それは「崩壊」ではなく、異常状態からの収束過程と捉えるほうが実態に近い。人口構造は先進国型に移行し、デフレとゼロ金利という歪んだ環境も終わりつつある。インフレ、賃金上昇、金利のある世界――これらは不調の証拠ではなく、むしろ他の先進国と同じ土俵に戻った兆候である。ロイターが指摘するように、日本経済はいま「正常化」がもたらす不確実性と正面から向き合う段階に入っている。

 問題は、その正常化が経済だけ先行している点にある。政治と軍事は、依然として戦後レジームの制約下にあり、国家としての自己定義が宙ぶらりんのままだ。経済は通常国家、政治・軍事は例外国家。この非同期こそが、現在の日本の最大の特徴である。

 この構造は、日本にとって楽ではない。経済が通常化すれば、為替も金利も外部ショックも、すべて正面から受ける。もはや「成長神話」や「日本だけ特別」という逃げ道はない。一方で、政治・軍事が曖昧なままでは、国家としての戦略的一貫性を欠いたまま、経済だけが外圧に晒されることになる。

 だから問いはこうなる。日本は「失われた国」なのか。それとも、異常な戦後モデルを終え、ようやく普通の国家に戻る途中なのか。後者だとすれば、問題は経済ではない。遅れているのは、国家としての自己定義のほうである。

 結論は明確だ。日本はいま、衰退しているのではない。経済だけが先に大人になり、政治と軍事が取り残されている。この時間差をどう埋めるか。それが、これからの日本に突きつけられている本当の課題である。

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