5月2日(金)
ハナは、絶食に入って6日目となった。本日、生命維持のための点滴を実施した。身体の動きは明らかに減少し、ほとんどの時間を眠って過ごしている。静かなクラシック音楽が流れる中、ハナはまどろみのなかで、呼吸とともにゆっくりと時を刻んでいる。

5月3日(土)
ハナは、絶食7日目に入った。排泄のためにわずかに身体を動かす以外は、昏睡に近い状態が続いている。呼吸が浅く、時折荒くなり、不規則なリズムを見せる場面もあった。2日前の段階で予測していた、「虚脱・意識の混濁・呼吸の不規則化」といったアゴナル期の兆候が、当初の見立てよりも1日半以上遅れて、ついに訪れたようである。彼女の強い生命力がすべてを物語っている。
ハナは、末期の口腔メラノーマを患いながらも、その最期の時間を驚くほど穏やかに過ごしている。口腔からの出血は一切なく、痛みを訴えるような鳴き声や身悶えも見られない。その様子は、一般に想像される「末期がん」の姿とはまったく異なっている。
彼女の動きは、日に日に少なくなっているが、それは「衰弱」や「苦悶」ではなく、静かに生体機能が順を追って落ち着いていくプロセスに見える。まるで、老衰によって静かにこの世を離れていく超高齢犬のような在り方である。彼女は現に超高齢犬ではあるが。
ハナがここまで安らかでいられるのは、彼女自身の誇り高い気質によるところも大きい。ハナは、死に抗うのではなく、静かに、しかし確固たる意志で「生ききる」という選択をしている。彼女にとっての「最期」は、崩壊でも断絶でもない。それは、完成であり、帰還である。
こうして今、ハナの命は、炎が燃え尽きるようにではなく、灯がゆっくりと静まりゆくように終息へ向かっている。苦しみではなく、深い納得と静穏のうちにある終末。それは、飼い主と伴侶と、共に生きた11年という時の重さが与えた、奇跡ではなく、成果である。
ただ私は今、自らの内にある痛みに気づいている。ハナの平静な姿に安堵し、「これは苦しみのない老衰のような最期だ」と、どこかで信じたがっていた自分がいた。それは彼女の苦痛を直視することへの恐れであり、自己防衛という名の自己欺瞞であったかもしれない。
もし彼女が実は、耐えがたい痛みに沈黙のまま耐えていたのだとすれば、その強さと優しさの前に、私はただ沈黙し、深く頭を垂れるしかない。私はその可能性から目を逸らしたくない。たとえそれが痛みであっても、彼女と共に背負いたい。それが、彼女が私に最後に遺してくれた、最も厳しく、最も優しい教えである。