ステータスという商品のデフレ、実用的機能とのバリュー乖離

 貴族の特権であったゴルフはいまや、大衆スポーツになった。金持ちの社交場とされていたクルーズ船も近時、庶民の移動エンターテイメントセンターに化している。

 国際空港のVIPラウンジはもう、ファーストクラスの上客よりも、雑多な各種のカードや入場資格をもつ一般客の人数が多くなっている。時に満席で入場待ちに長蛇の列が出来ている光景は、いかに奇妙か。

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 先日、航空会社からゴールドカードが送られてきた。好奇心で調べてみた。シルバーカードの取得には年間2万5000マイル、一つ上のゴールドには年間5万マイル、さらに最上位のプラチナとなると年間10万マイルが必要である。要するにステータスのアップグレードには倍々のマイルを使わないといけない。

 さて、上位ステータスの特典の価値も、下位ステータスの倍になっているのだろうか?結果は明白だ。上位ステータス取得に必要なマイル数と正比例になっていない。

 「あと○○○○マイルで、上位ステータスを取得できる」という文言は人間のステータス欲と虚栄心を煽る。一旦取得したステータスをはく奪される喪失感の恐怖から、来る日も来る日もせっせと飛行機に乗る「マイル奴隷」に転落する。

 私もかつてカードステータスの奴隷であった。2000年8月に、私の手元にアメックスのセンチュリオンカードが届いた。俗称「ブラックカード」。アジアで発行された第一陣のブラックカードであった。私は舞い上がった。ステータスの虚栄心は膨張し続ける。

 友人や、特に女性の前で食事の支払い時に、あのチタン製の重たい金属カードをちらっと見られ、「えっ、もしやあの幻のブラックカード?」と驚かれる瞬間、もう優越感の頂点に上り詰めた気分であった。

 ある日思いついたところで、私は計算してみた。

 ブラックカードの年会費は60万円(香港ドル換算)、その一つ下のプラチナは10万円程度、ざっと6倍の差。さて、そのサービスや特典も6倍の差があったのだろうか。残念ながら、私の場合回答が「否」だった。さらに、プラチナの下位であるゴールドの年会費を調べると、1万円弱だった。同じ質問、プラチナとゴールドの差は10倍あったのかと、答えも同じく「否」だった。

 2年前ついに、私は14年間使ってきたアメックスのブラックをキャンセルし、2つランクを下げてゴールドに切り替えた。いまは何ら不自由もなく使わせてもらっている。

 「ステータス・デフレ」

 ――私が独断で作った造語だ。現代社会の商品やサービスのバリューは、実用的機能以外に、ステータスをくすぐる成分も含まれている。上記の私の「○倍」という計算はあくまでも純粋たる実用的機能ベースの計算であって、ステータスバリューを考慮していない。

 ステータスバリューを折り込んでみると、また違う風景が見えてくる。マズローの欲求5段階説に基づけば、ステータスの確認は、基本的に第4段階の承認欲求に属する。人間の承認欲求を満たすべく、商品やサービスにもステータスバリューを付与される。気がつけば、ステータスそれ自体も一つの非可視的商品になってしまっている。

 社会が全体的に豊かになればなるほど、人間の欲求も、生理的欲求や安全欲求、社会的欲求からより高次の欲求である承認欲求へと変わっていく。そこでステータスという商品への需要が増大し、ステータスの供給がどんどん増えれば増えるほど、そのデフレも同時進行的に起こる。

 いまどき、ゴルフをやっているからといって自慢にはならないし、ゴールドカードをもっているからといってそれを自慢したら、白い目で見られるのがオチだ。こういう「ステータス・デフレ」の世界である。