有料記事雑感、世の中無料ほど怪しいものはない

 「有料記事で残念です」

 昨日、某コラムサイトへのある方の書き込みを見た瞬間、私はふと気付いた――。無料記事が一般で有料記事が特別だという世の中になった。

 無料記事で書き手はどのように生計を立てるか。趣味で書く以外、必ず別の収入源が必要だ。スポンサーが付くと、まずスポンサーを非難する記事は書けなくなる。さらにスポンサーの意図に沿った記事を書かなければならない、そういう場面もあるかもしれない。

 偏向、偏向というが、なぜ偏向になるか。書き手本人のイデオロギーや価値観という内因と(いろんな形の)スポンサーの利益という外因が絡んでいることが多い。偏向記事を批判するなら、少なくともまず外因の排除に努めなければならない。

 だから、有料記事は当たり前だ。むしろネット上の無料記事が氾濫する現今において、有料記事ほど大切なものはない。これが第一歩だ。

 綺麗な空気も、水も、平和や安全も、そして情報もすべてコストがかかっている。世の中、無料ほど怪しいものはない。

コメント: 有料記事雑感、世の中無料ほど怪しいものはない

  1. もっともなご指摘です。

    ただ、読者としては判断が非常に難しいです。

    第一に、有料な情報にどれだけの価値があるのかに明確な基準はなく、むしろ読み手がその情報からどれだけの価値を生み出せるのかということのほうが影響が大きい場合がほとんどです。無料や100円の記事から多くを読み取れる人もいるだろうし、1万円の記事を読んでも何も得られない人もいます。

    第二に、有料な記事であっても、広告がついている場合がほとんどです。では、広告主から影響を受けない部分はどれだけであり、広告主から影響を受けている部分はどれだけなのか、その割合は無料の記事と比べて本当に適正であるのかが判別できません。

    第三に、無料の記事が広告主におもねっているとすれば、有料の記事は読者におもねっている内容となるのではないか(つまり売れれば良しという内容)或いは記事提供者に最大の利益をもたらす内容となるのではないかという疑念があります。

    そんなこんなで、どうしても無料のほうへ流されがちになりますが、立花先生が鳴らしておられる警鐘にはいつも耳を傾けたいと思います。

    1.  文中で、情報の価値属性を認識することを、「第一歩」と私は言いました。ご指摘の事柄はまさに、その「第二歩」「第三歩」となるものです。情報の選別と有用成分の抽出、価値の判断、価値の付与と拡大、これは読み手の作業になります。この二次加工や三次加工の高付加価値化作業によって、低価値の情報から大きな価値が生まれることもありますし、偏向情報の偏向性を是正することだってできます。機会があれば、また後日皆さんと共有できればと思います。

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