イポー塩釜チキン、自然体極上美味の至福

 土曜の宴会で物足りず、自宅用の土産でイポー塩釜チキン丸1羽を別注した。結局、酔ったところ、土産置き去りのまま帰宅してしまった。翌日わざわざレストランの女将さんが自宅まで届けてくれた。本当に感謝感謝。

 日と月の連続2日、夕食は塩釜チキン。赤道直下の心地よい夜風のなか、ベトナムから仕入れた米酒に、イポーの塩釜チキン。これ以上ない完璧な南国モードでまたもや酔ってしまった。

 イポー塩釜チキン。中国語では、「塩焗鶏」。「焗」という漢字は広東語で「グオッ」、北京語で「ジイゥ」。決して日本人には馴染み深い調理法ではない。まず日本語で「焗」を、通常「蒸し焼き」で表現しているようで、私からすれば適切ではない。少なくとも100%うまく表現できているとは思えない。

 蒸気を媒介として、出汁や塩漬けされた半熟の食材を加熱して仕上げる。特に客家料理などにはよく見られる調理法だが、中国語でいえば、とにかく「原汁原味」、食材の風味を如何に壊さず、いやそれだけでなく、それを引き立てながら仕上げるかが料理人の腕の見せ所だ。

 「色・香・味」(シェ・シャン・ウェイ)というのが、中華料理の3要素。まず、「色」。見てこの黄金色。申し分ない。しばらく見惚れていて言葉が出ない。

 次に「香」。決して強烈なものでなく、いかに自然体的に仕上げられた鶏のもっとも自然体的な香りがふわっと漂ってくる。自己主張がないものの、引っ張られていく不思議な香りである。

 最後に「味」。鶏肉の繊維が損なわれていない。とても柔らかいが、下品なふにゃふにゃ感がない。しっかりした繊維感があるにもかかわらず、歯に全く抵抗しない。誠に不思議な食感である。そして「塩味」というが、それも塩感がなく、まるで海産物に付着し、染み込んでいるの潮の香りのような味覚だった。

 我々人間は常に殺生している。そこで我々人間のために犠牲になった動物を、如何に成仏させるか。丁寧に扱い、丁寧に料理し、丁寧に頂く、そして感謝する。その動物の犠牲が世に最大限の価値を如何に付与するか。至福のひと時を与えてくれた鶏、そして優秀な料理人に感謝を申し上げたい。