森氏の「女性蔑視」問題、日本社会の堕落構図はこうなっている

 トヨタ自動車の豊田章男社長も、叩きに加担したのか。五輪大会組織委員会の森喜朗会長のいわゆる「女性蔑視」発言(「女性は話が長い」)について、「トヨタが大切にしてきた価値観とは異なり、誠に遺憾」とのコメントを出した。

 豊田社長は、間違っている。価値観の問題ではない。価値観とは、事実事象に基づく(に対する)認識・判断であり、森氏が単なる事実事象を述べたにすぎない。もしそれが事実でなければ、価値観相違でなく、事実のねつ造である。豊田社長には背景が異なるものの、ご自身が米議会の公聴会で男泣きしたことを思い出してほしい。

 森氏の発言をめぐって、まずその真偽の議論があまり見られない。「(話の)長短」という表現は主観的価値表現ではなく、客観的(事実事象)状態表現だ。ならば、データや事実を並べて議論するのが筋。偽と結論付けた場合、森氏が事実捏造で辞めることになる。

 最終的に森氏は、辞めた。辞め方はない。あるのは、辞めさせ方だけ。日本社会はこれで良くなったのか。次の生贄は誰だろうか。

 「Lady First」も、性差(女性が弱いから、優先する)を表す言葉と習慣であれば、無くす必要があるのだろうか?タイタニックが沈没する際、女性を先に逃がすのも差別か?さらに、「女性のトイレが男性より長い」といったら差別になるのか?この事実に基づいて、女性トイレを男性トイレより大きくつくるとなると、これも叩かれるのか?

 用語とかなんとか、誠に息苦しい。私は未だに、「看護婦」という言葉を使っている。自分が病院にいったら、男性nurseよりも、女性nurseのほうがいい。これも差別か?叩け!叩かれても固定嗜好は変わらない。

 これから、AI がどんどん人間に取って代わる。そんな「人間差別」が起きたとき、どうするか?AIを叩くのか?それともAIを作り出した人間を叩くのか?差別などで騒いでいる暇があったら、勉強して強くなればいい。弱すなわち善ではない。自分の不遇や不幸を「差別」のせいにする人は、自分に対する最大の差別だ。

 北海道の話。食物連鎖の頂点に立つオオカミが減ったところで、本当は食われるはずだった病弱蝦夷鹿が生き延び、繁殖し続ける。結局、鹿が害獣となり、退化もする。今の日本社会もある意味でそれに似ている。もっとたちが悪いことに、鹿が大量に集結してオオカミに襲いかかる。まさに強肉弱食の時代になった。

 マスコミの加担も看過できない。「マスゴミ」と揶揄されるが、マスゴミの供給を支えているのは、ゴミマスの需要。強が悪、弱が善、そんな馬鹿げた理論がいつの間にか作りだされたのである。

 戦後日本の特徴は、私独自の表現でいうと、「内剛外柔」。対外は何1つ強く言えずにほぼ無条件に異質受容で従順なくせに、内部の日本人社会は容赦なく軽微な異質性にも非寛容的、暴力的でさえある。会社で上司にぺこぺこするサラリーマンが家に帰ると家庭内暴力の悪漢に豹変する。そういう二重人格の持ち主。

 仮想敵を立て、弱者正義化。それで大衆のルサンチマンを喚起し、闘争を煽り立て、堕落させるのが社会主義者の常套手段。彼らは常に「闘争」を理念・綱領とし、従来の資本家階級対無産階級の代わりに、現代風に様々ないわゆる「差別」によって分断されたグループで置き換え、闘わせる。

 社会主義者・共産主義者を差別することで、差別主義者と呼ばれるなら、私はその名誉を喜んで受け入れる。

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コメント: 森氏の「女性蔑視」問題、日本社会の堕落構図はこうなっている

  1. 立花さん、ありがとう!モヤモヤしていたものが払拭されました。本質から目を逸らされないように、感性も、知識も大切にしたいと思います。感謝!

  2. 森会長を非難するにしても、敬意を持ってするべきだと思います。
    挑発したり、攻撃する方ばかりで残念です。

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