朝青龍の品格と日本人の思考力

 「日本人の若者は、すぐに諦め、放棄する。最近、多くの日本人は、ものを思考し、主体的に働きかける力を失った。学習でも、『楽な』学習に熱中し、内容が簡単で、分かりやすい、深く考えずに済む書籍を好む。これは、日本人の読解力の衰退を招致する原因である」

 「日本では、お笑い番組をはじめとする民放娯楽番組が人気で、視聴率が高い。日本人視聴者は、知らずに、思考力を奪われていく。頭でものを考えなくなる。『納豆でダイエットできる』やら『朝バナナを食べるとやせる』といったTV番組を見ると、理由も何も考えずに、一斉に真似する」

 本日3月7日付、香港「信報」の記事である。

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 先月、春節休暇で私が一週間日本に滞在して、テレビを眺めていると、まったく同じことを考えた。朝青龍の退職金が1億2千万円か1億5千万円か、それだけで延々と1時間、議論している。何も考えずに、眺めていると、ふと私が気が付いた。この1時間、いったい何だったのだろう。何かしらの知識や収穫は得たのだろうか。

 題材がくだらないとか低俗とか、そういう問題ではない。どんな題材でも、見る角度と突っ込み方が大事だ。

 「1億単位の退職金を、これだけ『品格のない』力士に出していいのだろうか」、この番組がいわんばかりだ。朝青龍の品格の悪さを立証するために、様々な証拠も用意された。

 「朝青龍は昔からメディアの取材に対しても、横暴な態度を取ってきた。記者に『ぶっ殺すぞ、コラ!』と口癖のように言っていた」

 これは、これは、朝青龍は悪だな。しかし、昔、これだけ「悪」だった朝青龍の素顔を、この記者はなぜ報じなかったのか、その当時に。国民的英雄扱いだった時代に、実は朝青龍はとんでもない人だよと報道するのがメディアではないか。

 今日になって、朝青龍は踏んだり蹴ったり、これだけ品格のない力士に、1億単位の退職金なんて、庶民にとって夢のまた夢になるような金額を支給するなど、とても考えられない。ごく自然に考えるだろう。

 しかし、そう考えている日本人よ、あなたが朝青龍になることはできるのか。朝青龍は、誰にも取って代わられることはない。価値の稀有性、過去の功績に対して、1億の退職金が高いか安いかは一目瞭然だ。価値と功績という過去の歴史に対する評価である。

 どんな国民的英雄でも生身の人間である。「英雄」と「悪魔」の両極端扱いでは、メディアとして失格だ。しかし、ここだ。ただ、メディアを批判するのもいかがなものか。視聴者のニーズがあってこそのメディアではないか。

 根源を突き詰めると、一人ひとりの日本人の思考力と価値観にあると思う。大衆メディアに流されずに、自分でものを考え、判断する主体性をもってほしい。たまには難しい本でも読んだり、いろいろな現象を違う目線で見つめたりすると、きっと明日は違ってくる。