チェコ紀行(6)~コーヒーで酔う朝、そして私だけの景色

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 小鳥のさえずり。冷涼な空気。朝もやがかかった幻想的なヴルタヴァ川とボヘミアの森。

65879_2朝もやがかかった幻想的なヴルタヴァ川とボヘミアの森

 小さな古都チェスキー・クルムロフの静寂な朝。人影も車影もまばら。経済紙も手元に届かない。一切れのこんがりと焼けたパンに塗りつけられたバターがとろりと黄金色に溶けてゆく。

 何だか酔ってしまいそうだ。コーヒーの薫りで酔う朝。

 スケッチブックを片手にチェスキー・クルムロフの街に出かける。目的地はない。ただ、ぶらぶらと石畳みの路地裏をさまようだけ。景色のよいところを見つけると、腰をおろしてスケッチブックを取り出す。

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 スケッチを描くのが何年ぶりだろう。いや、何十年ぶりだろう。大学で建築学を勉強したとき、デッサンの時間があったし、街のスケッチに出かけることもあったが、それ以来は鉛筆に触れることもなかった。

 カメラという便利なものがある。観光地に着くと、まずカメラを一斉にパチパチ。私も実はその一人だ。気がついたら、景色よりもカメラの撮影画面を見ている時間が長かったりすることもしばしば。昔、フィルム時代ではフィルムにコストがかかっているから、じっくりと景色を選び、構図を考えて慎重にシャッターを切っていたが、いまはデジタルカメラの時代だ。思いきってカチカチと何回もシャッターを切って、気に入らないのを削除すればいい。コストはかからない。こうしているうちに、人間の堕落が始まる。

 便利というのは、怠惰を源としている。こういう側面も否めない。便利になった一方、何か失うものはないかというと、実に多い。たとえば、ボールペンの普及によって、インクの香りが消えた。さらに、ワープロやパソコンの普及によって、ペン自身の使用頻度が大幅に減った。漢字変換機能に頼りすぎて漢字が書けなかったりすることも増えた。

65879_4私だけの景色

 鉛筆を手にしてスケッチブックと向き合うと、一瞬にして心が躍る。一本の線、二本の線・・・。景色が脳に焼き付け、そして神経を経由して指が動きだす。完全にアナログの世界である。絵は、デジタルほど正確ではない。どこかずれているかもしれない。でも、その歪みが私だけのものであり、世界一つしかない私だけの景色である。

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