「プラハの春」
チェコは、元社会主義国家だった。1948年に共産党がチェコの政治を牛耳り、1953年からはノボトニーによる独裁が始まった。社会主義国家として、社会も経済も停滞した。そこで改革の兆しが見られたのが1968年春。同年1月3日、改革派のドプチェクがチェコ共産党の第一書記に選ばれ、言論自由や市場経済の導入を打ち出した。チェコには春が訪れようとした。
しかし、チェコにおける自由化の動きは、社会主義圏のボスであるソ連を刺激せずにはいられない。ソ連・東欧諸国は、1968年7月14日にワルシャワで首脳会談を行い、チェコ政府に対して警告を発した。続く7月29日にソ連とチェコ共産党が会議を行ったが、最終的にチェコは勧告を受け入れなかった。そして。8月18日、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍はチェコへの軍事介入を決定した。
1968年8月20日23時、ソ連軍を主力とするワルシャワ条約機構軍約20万は、チェコ・スロバキア国境を突破、翌21日午前プラハ市を制圧した。プラハ放送局を守ろうとした市民に対してソ連軍の銃弾が浴びせられ、ここだけで30人以上の犠牲者が出た。
その後約20年を経て、1989年のビロード革命でチェコは自由化が実現し、プラハにようやく本当の春が訪れた。
チェコだけでなく、社会主義の大本営であるソ連をはじめとする東欧社会主義諸国の制度崩壊で冷戦が終結した。資本主義が社会主義を打ち負かしたという人もいるが、私は違うと思う。社会主義は崩壊したのである。社会主義が目指す目標は大変素晴らしい。すべての人民が豊かな暮らしを送れる制度を理想とした。ただ、それが理想に過ぎず、このようなユートピアは実現するはずがない。世の中に「均貧社会」(均等貧困)があっても、「均富社会」はどこにもない。今後も出現しないだろう。
プラハの街を眺めながら、こう考えた。