我が家の庭の塀の外、つまり公共空間に見えて実は準私有地。そこに、ふと思いついてパイナップルやパパイヤの種や苗を勝手に植えてみた。特に深い考えもなく始めたその小さな「遊び」が、ある日しっかりと実をつけた。立派なパパイヤがぶら下がり、黄金色のパイナップルが地面から頭をのぞかせている。思わず収穫し、どうしようもなくうれしい。

この「うれしさ」は、単なる味覚の喜びでは説明がつかない。もっと深いところで、脳が興奮している。なぜ、これほどまでに心が満たされるのだろうか。
日々の生活や仕事の中で、努力と成果の因果関係が見えにくい現代において、「自分が蒔いた種が実をつける」という因果の完結は、圧倒的な達成感をもたらす。自然は嘘をつかない。水をやり、日差しを浴びさせ、時間をかければ、ちゃんと応えてくれる。これほど純粋で確かな「報酬」は、他にそう多くない。

同じパイナップルでも、スーパーで買ったものと、自分で育てたものでは、感じる価値がまったく違う。心理学では「保有効果」という。人は、自分が手をかけたものに、過剰とも言える愛着と価値を見いだす。たとえ小ぶりでも、形が悪くても、それは唯一無二の宝物になる。これは「愛着」というよりも、「帰属」や「所有」という感覚に近い。
さらに深いところで言えば、これは人間の狩猟採集時代から続く本能に響いている。食料を自分で得ることに、脳は本能的な快楽を感じるように設計されている。スーパーでお金を払って買うことでは得られない、もっとプリミティブな「勝ち取った感覚」がそこにある。これは狩猟や釣りで得た獲物と同じ構造の喜びである。
自家菜園の果実は、単なる食物ではない。自分の時間・労力・感情が凝縮された、自分自身の一部である。それを手に取り、口に入れるという行為は、まさに「自己肯定の儀式」とも言える。だからこそ人は、こんなにも満たされた気持ちになるのだ。




