労働組合の様相、経済と政治の濃淡転換期

 来週は上海で「労働組合制度」の専門セミナー。ここ1か月は追い込み的に「労働」関連の本を読破している。

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 この手の書物となると、いわゆる左派系のものが多い。私自身は決して左派ではない。立場的にも企業、資本家側のブレーントラストとして労働しており、経営論や人事労務管理論の常連読者でもある。ただ労使という二つの利害と視線があり、関係のバランスを崩しては良い人事や労務管理ができない。そういう意味でデュアルかつパラレルなスターディーが必要になる。

 世界の労働組合のなか、もっとも特徴あるのは中国と日本の労働組合ではないかと思う。中国の労働組合について有料セミナーの題材になるのでここでは書けないが、日本の労働組合事情に少し触れたいと思う。

 労使協調路線、御用組合、企業第二労務課というのがいわゆる日本の労働組合の特徴だ。労使の慣れ合いはひとえに戦後の正社員雇用・身分保障制度に起因するものであり、労組の幹部経験者の出世が優遇されたり、組合員である正社員は雇用や賃金が保障されたりすることにも表象されている。

 では、フリーターや非正規労働者はどうなるのか。調べるとなんと、「フリーター全般労働組合」という組織がちゃんと存在しているのだ。一種のNPOとして活動し、会員を代表して使用者に権利主張をする。ただこの種の主張はどこまで実効性をもつか甚だ疑問であろう。いや、だからこそ個別の権利主張よりも、社会運動的な成分がより濃厚にならざるを得ない。

 社会構造的な問題を「自己責任」や「甘え」といった言葉にすり替える社会を批判し、連帯ないしコンフリクトといったスタンスを掲げることから、既存の労働組合よりもはるかに政治的といえよう。社会変革を呼び起こす原動力にさえ成り得るのだろう。

 経済と政治はつねに微妙に、反比例的な濃淡関係を成しているところが面白い。日本社会もいよいよその濃淡の質的転換を迎える時期にさしかかっているような気がしてならない。

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