議論と炎上、倉庫と金庫

 最近、フェイスブックでは結構なペースで友達解除を食らっている。もちろん予告なしの解除。共通点として、私からよく異論や否定的なコメントを書き込まれてきた方々であった。とうとう、堪忍袋の緒が切れたという感じだった。

 もし、私が本音を吐かずに心の中で異を唱えつつも、口先だけは「YES」や賛同、嘘の社交辞令をしておけば、おそらく解除されなかっただろう。それどころか、「良い友達」になっていたかもしれない。お気持ちはよく分かる。ただ、嘘をついてまで偽りの相互承認・同調で付き合っていくことを、私の信条や価値観では容認できない。

 私は決して自分が常に正しいとは思っていない。間違っているときもよくある。あるいは、正誤なく、人間と人間はそれぞれ異なる価値観や思いもあるだろう。そこで、異論や異見に対して、それぞれ自分はなぜそう思うのか、根拠を据えて自分の考えを開示していく、議論していくことにこそ価値があるのではないかと、私は思う。

 むろん上記を唯一の正解だとも思っていない。ただこのような私の価値観に根本的に拒絶反応を持たれる方なら、むしろ友人解除したほうがお互いのためであろう。

 健全な議論は進歩や進化につながる。なぜ「炎上」と言われ、否定的に捉えられるのか。たとえ炎上したところ二八法則で8割を失っても、2割の真の友人を得られるなら、それ以上素晴らしいことはない。人生の最上の宝だ。ダイヤモンドは倉庫要らない。必要なのは金庫だ。

コメント: 議論と炎上、倉庫と金庫

  1. 友達解除。

    立花先生は、価値観が共有できない人とは議論をしないとおっしゃり、自分が議論をふっかけられると打ち切りなさります。一方で、自らは価値観が異なる相手にも積極的にコメントなさり、議論を吹っ掛けなさる。

    この辺りの矛盾点は、お心の中でどのように整理をつけておられるのでしょうか。是非、お心をを明らかにして頂ければと思います。

    1.  私が「価値観が共有できない人とは議論をしない」をいつどこで言ったのでしょうか、具体的にご教示ください。議論のルール基盤を共有できない方などには、議論を打ち切ることはありますよ。それは私は非健全・非建設的な議論に時間をかける価値がないと判断したからです。

       文中にも明言したように、「健全な議論」を前提にしています。それは私の価値判断です。逆に私との議論に価値を感じない方で私との議論を打ち切って、友達解除をする。それもその方の価値観であって、結構なことです。議論を打ち切る行動それ自体も、もちろん価値観が付随する、ということです。

      1.  小暮さんから反論や返答がないようで、小暮さんが議論を打ち切ったのでしょうか。議論を仕掛けておきながら、打ち切りすらしないというのは、まさに「議論のルール基盤を共有できない方」です。

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