消えゆく中間層と「庶民脱出」手伝うビジネス

 11月25日(土)、早朝便でクアラルンプールから上海へ向かう。5泊6日の中国出張。

 翌日の26日終日、上海郊外某日系企業の中国人幹部研修。シリーズ研修は第7、8回に入ると、受講生の変化が徐々に見えてきた。論理的思考の力がつきはじめ、私より先に結論を導き出すことも増えた。

 私のマネージャー研修は、基本的にエリート選抜、エリート育成のための研修だ。受講生に教えることは、人の上に立つためのスキルであって、帝王学という部分との出会いもしばしばある。

 社会というのはつねに、上中下と3分するのが基本だが、この先は「中」がどんどん消えていき、その大部分が「下」に転落し、小部分が「上」に上り詰める。

 その「下」の部分は日本人がしばしば、「庶民」と読んでいる。私は先日「庶民脱出」というブログ記事を書いたら、某読者から「傲慢」や「恩知らず(庶民への感謝を忘れた)」などといった批判が寄せられた。

 幸い、私は道徳を商売とする宗教家でもなければ、「庶民」のご機嫌を取らねばならない政治家でもない。まして、「庶民脱出」のお手伝いがビジネスである以上、さぞかしそこで自分の立場を隠して「庶民入り推奨」たる庶民賛美論を打ち出すのもあまりにも偽善で、それこそ道徳的批判を浴びるべきであろう。

 「庶民」というのは一種のステータスであって、善も悪もないから、そもそも賛美も否定もありはしないはずだ。私を批判する読者は、「庶民」から脱出する願望がなければ、脱出する意思がなければ、脱出する能力がなければ、それは自由に「庶民」であり続ければいい、それだけの話だ。

 そこで、「庶民脱出」を吹聴する私を軽蔑しても、一向に構わないし、大いに結構なことだ。私はただ、「脱出願望者」向けに商売をやっているだけであって、願望者が減り、いなくなれば、私も商売の糧を失い、次第に困窮して下層への転落を余儀なくされる。

 それは、供給と需要、市場のメカニズムである。

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