ザインとゾレン、戦争も地震もなくならない

 この世の中、よりよく暮らしていける方法とは何か。思うには、2つの概念に対する認識と実践から始めるべきだろう。法律を勉強する人間なら知っているかもしれないが、ドイツ語の「Sein」と「Sollen」である。

 「ザイン」(Sein)とは、いわゆる「存在」、現実として存する状態「・・・である」を指している。「ゾレン」(Sollen)とは、「当為」、「あるべきこと」ないし「なすべきこと」(ベからずも含めて)を指している。

 倫理道徳やら法律やら強制性の有無を問わず、あらゆる規範や規準類はすべて「ゾレン」である。人間は、「ザイン」と「ゾレン」の区別がつかなかったり、その因果関係が分からないと、不幸になりやすいし、また世界をもさらなる混乱に陥れやすい。

 例を挙げよう――。

 「戦争をやめるべきだ」が「ゾレン」(当為)。「戦争はいつまでもなくならない」が「ザイン」(存在)。「ザイン」を無視して、「ゾレン」の世界に突っ込んでしまうと、いかに危険かは自明の理だ。つまり、戦争なき世界を前提とする行動(ゾレン系行動)と、戦争がなくならない世界を前提とする行動(ザイン系行動)が分かれる。

 「ゾレン」とは、基本的に人為的行動や事象に対する善悪判断であって、つまり価値観の反映である。自然現象に対して「ゾレン」が発せられることはほとんど見られない。たとえば、「地震はやめるべきだ」とは言わないだろう。自然は変えられないが、人間は変えられる、という認識に基づいている。

 実は、人間には変えられる部分と変えられない部分がある。人間の自己保存と自己実現(マズローの欲求5段階説)の理論(人間の変えられない部分)に基づく動機付けと行動原理から、「戦争はなくならない」という「ザイン」が導き出される。これに関しては、自然現象と何ら変わらない不変性を有している。

 「戦争をやめろ」を叫ぶのは、「地震をやめろ」を叫ぶのと同じように愚かだと、私がいつも言っている根拠はここにある。

 生存競争もまた然り。シマウマがライオンに向かって「シマウマを殺すべきではない」と叫ぶよりも、より早く走って逃げる方法を考え、せっせとトレーニングに取り組んでいるのである。

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