「なぜ日東電工はしくじった?対中ビジネス、日本企業の“正しい撤退作法”とは」(産経サイト)
日東電工(中国)閉鎖騒動事件。産経新聞の私のセミナーに対する取材記事が2月19日付けで掲載された。
1月初旬、中国江蘇省・蘇州であった日東電工の閉鎖騒動事件が時事および中国メディアによって報じられた。その後2月6日上海で行われた当社の事例学習セミナーで、私がこの事例を取り上げ、メカニズムの分析を行った。
河崎真澄・産経新聞上海支局長の緻密な取材姿勢がそのまま記事に反映された。日系企業内部秘密の漏えい問題、「法、理、情」という異なるレベルでの適正な対処。セミナーで行われた仮説に立った分析を要所要所取り上げ、さらに私が主張している「転進」の概念、捉え方も紹介された。
すでに私のウェブサイトでもシリーズ連載を公表したが、当社は日東電工事例セミナーをアナウンスした直後から、日東電工から実名事例の使用中止を求められ、さらに同社は在上海日本総領事館まで動員して圧力をかけてきた。
いろんな問題や課題が今回の一連の出来事で浮上している。詳しくは顧客レポートに記述することとするが、ここではとりあえず2点ほど指摘したい――。
1点目はまず、日東電工が「撤退」を否定していたことだ。当事者(の日東電工)が「撤退」ではないと言っているのだから、誤報を使うなと。そうした姿勢だった。しかし、同じ当事者の従業員にとってみれば、仕事を失う以上、雇い主の「撤退」としか見ていないのも1つの視線ではないだろうか。
事件の当事者は日東電工という会社だけではない。このことを忘れていたようだ。従業員は雇い主が「撤退」するから「騒動」を起こすわけで、その因果関係もしっかり捉えてもらいたい。もちろん、「騒動」それ自体を肯定するつもりはまったくない。それにいろんな深刻な問題が見えてきたくらいだ。
2点目、日東電工はとにかく、この事件を隠そうとしている。私のセミナーを阻止しようと、総領事館まで動員したのもその証であろう。それだけでなく、総領事館まで、「公にセミナーで実名を出したら、日東電工に風評被害が及ぶのではないか」と懸念を示された。
これがいわゆる「常識」というものだ。「進出」なら良いが、「撤退」は大変恥ずかしいことだ。会社の名誉にかかわり、まさに風評が立ったところで被害を受けるのではないかというあたかも常識であるかのように見える錯覚である。
撤退すべきところで、撤退しない。これによってもっと大きな被害を受けることを忘れてはいないか。戦略的に、「引く」ということの重要性が全く見えないのか。恥ずかしさや後ろめたさなどにはまったく無縁なものだ。
「転進」というのは、戦時の大本営発表で使われた用語であり、敗北を示唆するものだったが、現今のグローバル市場においては、まさに「転進」をなくして勝ち残れない世界になったのである。
「資本主義」とは、常に新たなフロンティアを求め、そのフロンティアに利潤を求める運動である。1つのフロンティアからもう1つのフロンティアへ転進し、移り変わるフロンティアを追い続け、企業は利潤の最大化を求めていく。これは資本主義制度下の企業自身が担う第一義的な使命ではないだろうか。つまりは「転進の繰り返し」である。
目下のグローバル規模における企業活動を見れば、基本的にこの「フロンティア転進原理」のメカニズムによって裏付けられていることが分かる。むしろ、この原理に逆らう企業のほうが、危うくも時代の荒波に呑まれるリスクに直面するのではないだろうか。
中国からベトナムやアジアへと転進しフロンティアを追い求め、そのうちベトナムやアジアから次なるフロンティアへと転進するのは時間の問題に過ぎない。故にある意味では、エントリー戦略よりもエグジット(出口)戦略のほうがより重要とも言えよう。
「転進」という逆説的な企業活動原理から生まれるのは、決して均一的な敗退でも何でもない。むしろ企業が生き残り、勝ち続けるための必須かつ合理的な手段なのだと認識すべきだろう。従って、事業拠点や機能の選択的な閉鎖・移転・調整などの組織再編は、企業戦略の一環であって、まさに、フロンティア追求の最適化であることは自明の理だ。平たく言えば、「経営合理化」なのである。
日東電工の事例。その事業再編の一環として行われた経営判断それ自体が適正であるといえよう。法律に則って従業員には経済補償金も支払っているだろうし、何も後ろめたさを感じることはあるまい。堂々とすればよろしい。
産経の記事は、これから中国からアジアその他の市場へ転進する日系企業、事業再編に取り組む日系企業にとって、すこしでも役立つ情報となれば、私は幸いに思う。
<終わり>