お節介!熱血コンサルタントと料理店主の熱き戦い実録

 夕食は、以前、一度行ったことのある上海虹橋某日本料理A店で食べた。前回、日本人マスターが帰国中だったので、若干不満を持ったが、今回、ばっちりマスターもいたので安心した。食べてみると、やはり味はしっかりしていた。日本人マスターがいるかいないかで味が多少変わるのが当たり前だ。「いやいや、やはりマスターがいるのといないのと味が違いますね、今日はとても美味しいですよ」と私がいうと、マスターには「いや、同じですよ、お客さんの気のせいですよ」と一蹴された。一瞬、えっと思った。だって、マスターがいないとき、ここで食べたのは客の私で、マスター自身ではないよ。たとえ、その場にいる人間の直感であっても、その場にいない人間にきっぱりと乱暴に否定されると、いささか納得しない気持ちを抱く。まあ、頑固な料理人もいることで、そんなこと、気にするなと、すぐに私は自分を納得させた。

 食べていると、私はあることに気付く。同じ店に働く数人のウエイトレスで、笑顔でとても勤勉に働く子たちと対照的に、白Tシャツ姿で顔の表情がツンとして終始笑顔を見せない子がいた。特段失礼なこともしていないし、何も言う必要がなかった。

 軽く飲んで、美味しくいただいて、いよいよ終盤に差し掛かる。一人のお客様が入ってきた。マスターはちょうど裏に行っていた。ほかのウエイトレスも忙しく働いているので、白Tシャツが客を迎える番になった。「いらっしゃい。ひとりですか、そこに座ってください」、何ともいえない沈んだ声、嫌そうな表情だった。

 ここからは、凄い展開になる。

 生ビールの注文が入る。白Tシャツは、カウンターの裏に入って生ビール樽をいじる。

 プシュッ、パー~、私の頭と袖の2箇所に吹っ飛んできたのは、生ビールの泡の玉・・・

 無言。手に付いた泡をふき取って、颯爽とカウンターから出てきて、生ビールを持って客の前に突き出す白Tシャツ。相変わらず、無言・・・

 これから洗濯する服だし、大した被害もないから、まあ、そのまま帰るのが通常だが、たまたま、この店は、付き合いの良い顧客T社のM総経理の紹介だったので、コンサルタントの私は、妙な義務感でマスターを呼び付けた。

 立花、「・・・(上記の情況を一一説明した)」
 マスターはビール泡の被害状況を尋ねることもなく、「すみません、あとで、白Tシャツに言っときますから」といってさっさと去ろうとする。
 立花、「あの~、ちょっと、余計なお世話のようですが、M氏のご紹介をいただいた店で、マスターに申し上げます。マスターが言うだけで、多分彼女は本気で聞かないんでしょう」
 マスター、「それは、彼女は、聞かないでしょう。彼女たちは、しょせん従業員で、われわれが経営者だから、われわれが言っていることは、真剣に聞かないでしょう」
 立花、「じゃ、マスターが彼女に言う意味は・・・」
 マスター、「お客さんから苦情を言われたから、当然、彼女に伝えるでしょう」
 立花、「伝えても聞いてもらえないんだったら、伝える意味はどこにあるんですか、それよりも、私がマスターにこうして伝えている意味はどこにあるんですか」
 マスター、「だから、お客さんには、私は、ここで、すみませんと、謝っているんじゃないですか」
 立花、「ビールの泡が、お客さんの私に飛んできたんですよ」
 マスター、「あっ、あれは、説明を聞いてください。生ビールはですね、最後の一杯を出すときは、栓をひねると、ピュッ~と泡が吹き出るんですよ」
 立花、「泡がどうやって吹っ飛んできたかは、それなりの原因がある。それは知っています。原因を聞いているんじゃなくて・・・」
 マスター、「だから、原因を説明しているんじゃないんですか」
 立花、「いや、お客さんは、ビールの泡がどうやって飛んできたかというよりも、彼女が笑顔で『すみません』と一言で、それで終わりなんです」
 マスター、「だから、いま、私が『すみません』と言っているんじゃないんですか」
 立花、「いや、マスター、あなたは誤解しています。私は、指摘しているのは、私は誰からでも良いから、謝ってほしいというわけじゃありません。ほかの店で、もっと無愛想なウエイトレスもたくさん見ています。私、何も言いません。ただ、二度と行かなくなる。それだけなんです。親友のような顧客のM氏の推奨した店だから、お節介で一言を言わせてもらったんです。このような情況じゃ、ウエイトレスに言うだけでは、治らないんです、中国の場合。制度で、徐々に矯正していくしかないんです」
 マスター、「私は、この地で16年もやっています。それくらいは十分分かっていますよ。女房も中国人ですし、状況は誰よりも分かっています。だから、謝っているんですから、もう、それで良いんでしょう」
 立花、「分かりました。もう、言うことはありません。帰ります」
 ・・・

 さっさと、私が勘定を終えて帰ろうとしたとき、マスターは、すでに玄関側の客席に腰を下ろし、常連客と歓談を始めていた。私の帰りを見て見ぬふりして、立ち上げもせず、「ありがとうございました」の一言どころか、笑顔も会釈も何もなかった。

 立花、「マスター、この店には、もう来ることはないと思いますが、私は敵でも何でもないんですから、普通に一人のお客さんとして、帰り際に、『ありがとうございました』とマスターから一言を言われても良いんじゃないかなと思いますが・・・」

 私は、そのまま店を去っていくと、マスターが追っかけてくる。

 マスター、「あのね、あなた、いっぱい、何を言いたいの?」
 立花、「ビールの泡が飛んでくると、私だけじゃなく、どのお客さんもきっと不快に思います、だから・・・」
 マスター、「それは、だから、謝ったんじゃないんですか」
 立花、「お節介とは思いますが、私が言いたいのはこういうことなんです、一つの生ビール樽には必ず最後の一杯がある、次、また同じように、お客さんが被害を受ける。二度と泡を飛ばさない方法はないかと、また、お客さんにも・・・」
 マスター、「だから、ビールの樽はこういう仕組みになっていて、仕方がないんですよ」
 立花、「ビールの樽の問題よりも、人間でいくらでも改善できるし、それから、勤務態度だってよく働く子とそうでない子、やはり信賞必罰で、制度でやらないとダメじゃないかと・・・」
 マスター、「これは、中国だから、どうしようもないって言ってるんでしょう。だから、何回も、お客さんのあなたに謝っているんじゃないですか・・・」
 立花、「私は、謝ってほしくない。マスター、あなたは、あなたの従業員に謝ってください。彼女たちはこれじゃ、成長しないでしょう。あなたは、この店で老後の年金分くらいは稼げるかもしれませんが、まだまだ若い彼女たちだけ、本当に可哀想だと思いませんか。安い月給でもいい、せめて何か勉強できる。彼女たちは、あなたが日本人だから、きっとこれが一流のサービスだと思っているかもしれません。可哀相すぎます・・・」
 マスター、「あなたは、何考えているの?何言っているの?」
 立花、「すみません、私の考えをどう説明するかは、もう分かりません。私もその義務がありませんから、もう、帰ります。失礼しました」
 マスター、「・・・?」

 よく考えると、完全なミスマッチ、完全なお節介だった。そこそこの味、そこそこの商売、それで良い。たまにトラブルがあっても、日本人マスターが謝れば大抵済むことだ。トラブルの根絶方法や顧客サービスの改善など、考える必要はない。そのままいけば、経営者老後の資金も十分に溜まる。中国人の従業員は、しょせん従業員で、経営者とは別世界の人間、適当に使えばいい。本物のサービスを教え込む必要もない。信賞必罰など、そんな大袈裟なことはいいご迷惑・・・ これは、この店の価値観、秩序だ。そこに強引に割り込む私は、まさにお節介にほかならない。

 A料理店の日本人マスターは、ちゃんと彼の人生観と経営方針をもっている。人には様々な生き方があるし、互いに尊重し合うべきだ。それを知りつつも、実践の場ではいつの間にか忘れた自分は、コンサルタントとしては情けない。特に、A料理店を勧めてくれたM氏のメンツまで潰したことを、とても、申し訳なく思っている。

 世の中には、正解は一つだけではない。人によって正解はバラバラなのだ、と思いつつ、電話帳から、一つの電話番号を削除した。