米国西側は、馬鹿なゴルバチョフを持ち上げ、ソ連を崩壊させた。今、馬鹿なゼレンスキーを持ち上げ、ウクライナを崩壊させ、それをもってロシアを崩壊させようとしている。
ゴルバチョフは馬鹿で、西側社会をバラ色と妄信し、英雄に祭り上げられた。ゼレンスキーも馬鹿だが、彼の場合妄信もいらず、そのまま英雄を演じてきた。
いわゆる民主主義社会それ自体も同じで、大衆は自由と民主を妄信し、「主」に祭り上げられてきた。少数であるからこそ、「主」といえるわけだ。大多数の民は主になり得ない。概念がすり替えられたところで、名ばかりの「民主」を利用して私利を図る輩が現れる。
無能無脳な馬鹿を民主の闘士に祭り上げ、ゼレンスキーの如く大衆の拍手喝采を博する。舞台裏の楽屋では、「民の主」である特権階級(今でいえば国際金融資本)は札勘に忙殺される。
民主主義は劇場時代だ。演劇は基本的に英雄役と悪人役、善悪の二極化だ。分かりやすいからだ。馬鹿でもわかるからだ。「民主」には「独裁」が対置され単純化されたように、実にわかりやすい。
民主主義には、有能なリーダー(戦略家・実務家)は必要ない。いや、逆に迷惑であり、場合によっては「独裁者」として「悪」の部類に分類され、無情に叩き潰される。トランプは潰された。そしてプーチンも潰されようとしている。
プーチンが潰されたとしよう。ロシアがソ連に続いて二次崩壊をしたとしよう。民主主義の主人公諸君はバラ色の時代を迎えるのだろうか。
断言してもいいが、そんなことには絶対にならない。高価なチケット代を払って劇から得た陶酔はつかの間。明日も暗い1日、もっと暗い1日になろう。しかし特権階級は来る日も来る日も劇の上演で札勘に忙殺され、楽屋で高笑いする。
民主主義劇場、本日も満員御礼。