「過去の実績」にこだわるな、美名下のリスク

 木津さんのブログ記事では、金融投資商品の過去の運用実績を見て将来の運用状況を判断することに対し、「過去の運用実績が将来も継続する保障はなく、過去の運用実績を引き合いにして投資運用プランの加入検討を薦めない」と木津さん自身の意見が書かれている。

 まさに、その通りである。「過去の実績」に対する捉え方だ。

 思い起こせば、私が起業した当時、企業を回り、コンサルティングサービスを売り込もうとすると、まず冒頭一番に、「あなたのところの過去事例を見せてください」といわれる。それに対し、私は、「いや、過去の事例はありません。貴社に契約していただければ、貴社が弊社の一番目の事例になります」と答えた。10社を回って、9社に断られる。理由は過去の実績がないからだった。

 おかしいじゃないか。どこも契約してくれなかったら、どうやって「過去の事例」を作るのか?幸いにも、10社に1社、「よし、リスクをとって小さな案件を任せてみようかな」という親切な担当者がいた。

 「リスクをとって仕事を任せてみようか」という言い方は、実績のない私が信用されていないことの表れ(厳格に言うと、信用の判断基準がない)である一方、先方がリスク覚悟のうえでの意思決定でもある。

 当時、当社は大手コンサル会社に負けっぱなしだった。ネームバリューで発注する企業がやはり多かった。実態として、大手コンサル会社の多くは、下請けのローカル中国系業者に案件を投げているだけに、必ずしもネームバリューに見合ったサービスが提供されているとは限らない。しかし、ネームバリューの土俵では、当社のような零細企業はとても太刀打ちできない。

 いまこそ、当社、エリス・コンサルティングは「強い小粒」になり、「過去の実績」となる案件事例も山ほどあり、新規受注に追われるようになり、大手コンサル会社も当社のセミナーを聞きにきたり、大手コンサルが手がけた案件の再生を顧客に依頼されたりするようになった・・・が、数年前の当時、10社中のあの1社がいなかったら、今日のエリス・コンサルティングは決して存在しないだろう。

 日本人は、どんどんリスクをとりたがらなくなった。「過去の実績」にこだわっていると、「実績のない」者の成長性が潰れてしまう。社会の新陳代謝機能が停滞し、日本の老化や衰退に拍車がかかる。もっと恐ろしいことに、「過去の実績」にこだわっていると、人間の思考機能や判断力が低下し、次第に先を読めなくなり、いや、先を読もうとしなくなり、いつか「過去の実績」が「将来の失敗」になる日が知らないうちにやってくるのだ。

 私は、結構大胆に将来を予測する人だ。このブログだけでなく、各種のセミナーでも、将来の予測をストレートに発言するタイプだ。昨日、ブログへの読者投書に、「立花さんの予測が外れた場合、相手に嘘つき呼ばわりされるだけでなく、他に出回ったりして、立花さんの名誉を傷つける可能性もあるのではないか」という親切に心配してくれた方がおられた。

 予測は当たることもあれば、当然外れることもある。外れることを恐れて予測しないと臆病者になる。経済社会が必要とするのは、予測をする専門家であり、予言をする神様ではない。問題は、当たるか外れるかではなく、きちんとリスクを相手に告知しているかどうかだ。予測をあくまでも予測で、それを信じるかどうか、どのくらい信じるか、その判断と将来へのリスク負担は、聞き手にある。私は、占い師ではなく、コンサルタントだ。万一、恐れが見事にはずれたら、「すみません、今回は私の予測が外れました」と謝るし、なぜ外れたかをしっかりと分析し、学習の材料にする。

 「過去の実績」にこだわるな。といっているのは、「過去」の軽視ではない。むしろ、「過去」は、重要な材料である。ただし、使い方に注意しなければならない。繰り返すが、「過去」を延長して「将来」に重ねるのではなく、「過去」を材料に、将来の「予測」を立て、そして「意思決定」を行うのである。主体性ももってだ。

 投資や金融商品も同じだ。