糟糠の妻と薄情夫の中国ビジネス哲学

 昔、執筆したコラムですが、その一部をこれから不定期にブログに乗せて見ます。第一弾です。原文のまま、まったく加筆しません。「加工貿易」、なんて死語になりつつありますが・・・

(2007年8月執筆)

 「上海駐在。20代にして年俸1000万円、年2度の海外バカンスしかも旅費支給、もちろん高級マンションの社宅付、個人所得税負担ゼロ、ストックオプション付、出張はすべてビジネスクラス、肩書きはマネージャー・・・」

 私は94年に英国ロイター通信社の日本法人であるロイター・ジャパンから、上海駐在を命ぜられた。世間を知らない若僧には、破格の待遇だった。当時、社内ではロンドン、ニューヨーク駐在のポストに、常時数十名の希望者がスタンバイしているが、中国となると誰一人も希望者がいない。私は手を上げるすぐに「依願転勤」となり、よろしく頼むと担当役員にまで頭を下げられた。給与待遇ハンドブックをめくって見ると、中国はコンゴ、北朝鮮と並んで、「最後進国」に分類されていた。市場原理で、みんな行きたがらない後進国となると、駐在員の待遇相場は当然高い。中国に駐在して頭がおかしくなった駐在員が本国に帰任すると、家族が会社を相手取り労災訴訟を起こすケースもあったようだ。そのために、私は、「頭がおかしくならない」ために、会社から年2度の「癒される」海外バカンスを付与され、家族揃って旅先までの往復航空券と滞在ホテルの宿泊費までもらえていた。

 夢のような話だった。

 90年代後半から状況が変わり始めた。中国国内に住む外国人がどんどん増え、特に21世紀に入ってからは、外国企業の進出が急増した。駐在員の待遇は企業によって、維持される会社もいれば経費削減でどんと引き下げられる会社もいた。概ね80年代や90年代前半のような破格待遇はほとんど見なくなったと言って良いだろう。日本企業の中でも中国駐在の希望者が続出している。また現地採用として中国で就職する日本人も増えており、中にナショナル・スタッフの中国人より安い月給をもらっているケースも少数ではない。これも、市場の需要と供給関係の原理で説明がつく。

 中国市場は大きく変わった。いまの中国は発展途上国といえども、上海あたりは先進国と何ら変わらない。この中国の変貌振りはよく語られている。そして、中国の投資環境はどうだろうか、中にも大変重要な部分として、国家政策と立法がある。「中国の政策や法律はころころ変わる」というのは一人二人ではない。めまぐるしいほど、色々な新法が立法されるだけでなく、既存法律の修正、付随法規の公布が続々と登場する。短期間に起きている中国市場の急変に適応させるため、法整備の加速化もやむをえないだろう。言い換えれば、法整備の立ち遅れが市場の混乱を引き起こしかねないので、「ころころ変わる」のが当たり前ではないかと。

 中国の政策、法律が「ころころ変わる」ことがあったにしても、なぜ「ころころ変わる」のか、ここまで突き詰めると答えが見えてくるような気がする。それはすべて国家利益と連動して変わっているのである。これだけは、変わることが永遠にないと言ってよい。政策や法律が「ころころ変わる」ことで困惑するというのなら、変わらないところに注目すればよい。それは中国の国家利益である。これをしっかり把握できれば、なるほどと一つ一つ政策や法律の変化を納得する。それに慣れてくると、流れを読めてしまう。つまり次に出てきそうな政策や法律を予測できてしまう。ここまでくると、真の「中国の達人」と称することができる。格好よい言葉で言うと、「洞察力」と「予測力」を身に着けるということになる。学問の世界では、「激変中の不変」を求めることであって、その「不変」を徹底的に研究、習得することは、「哲学」である。「博士」の英語略称「Ph.D.」は、「Doctor of Philosophy(哲学博士)」の略称で、どの学科の博士にも「Ph.D.」がつくことから、「哲学」がすべての学問分野の基礎であることが分かる。

 中国の外資導入は、「加工貿易」から始まったと言っても過言ではない。しかし、輸出税還付から加工貿易政策の全面的調整まで、最近一連の動きから、「加工貿易」時代の終焉をはっきりと感じ取れるようになった。80年代、90年代にあれだけもてはやされた加工貿易だが、いよいよ中国政府に見捨てられるかと思うと、「薄情者」と罵りたくなるような、胸糞悪い思いをするばかりだった。でも、冷静によく考えると納得する。中国に外貨は溜まった。労働集約型の安い工賃を稼ぎながら貿易黒字や環境破壊で諸外国に責められていると、貴方はどうしますか。糟糠の妻を家から追い出すほか方法はなかった。家に残りたければ、もっと若く美しい娘に変身しろと。中国語の経済流行語のキーワードで言えば、いわゆる「産業結構優化」、「転型正義」と「転型痛苦」、つまり「産業構造の合理化は、正義であり、それに伴う苦痛は耐えるべきだ」ということになる。「不変」な国家利益のための「変化」である。

 私は94年から7年間上海、そして香港に駐在し、中国市場の初期開拓とアジア金融危機直後の香港市場の建て直しを手掛けた。いよいよ任務の遂行が完了すると、2000年に急遽帰国の辞令が出た。苦労も多かったが夢のようで華麗な海外駐在は終わった。サラリーマンとして年齢に不相応な破格の待遇はいずこへと消え去った。海外拠点では、私が現地で採用した若い日本人部下が私の席に座った。私はやけ酒を飲みながら、しばらく沈黙に漬かっているとふっと悟った。会社の利益所在を読めずにいた私こそが馬鹿だった。「不変」な会社利益のために、私は「変化」を強いられたのだ。いや、違う、私は自ら「変化」を図ろうとしないまま、「変化」を強いられたのであった。

 「変化」よりも「不変」を求めよ。中国ビジネスの「不変」を悟れば無敵になる。

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