終戦記念日に思うこと、魂いろいろ英霊の祀り方

 終戦記念日。必ず出てくる話題は靖国神社。ふと思いつくことだが、中国には靖国神社に相当するような慰霊記念施設はあるのか?

 天安門広場に人民英雄記念碑があるのではないか。国の英霊が祀られる慰霊・記念施設といえば、まず人民英雄記念碑を想起する。そこで、質問――。人民英雄記念碑に祀られている「人民英雄」とは、どのような人たちか。

131130-1550-北京-天安門広場

 人民英雄記念碑にこのような文言が刻み込まれている。

 「ここ3年来の人民解放戦争と人民革命によって犠牲になった人民の英雄達は永遠に不滅だ!ここ30年来の人民解放戦争と人民革命によって犠牲になった人民の英雄達は永遠に不滅だ!ここから1840年まで溯った時から内外の敵に反対し、民族の独立と人民の自由と幸福を勝ち取るための毎回の闘争の中で犠牲になった人民の英雄達は永遠に不滅だ!」

 碑文で記載された記念対象者は、限定されている――。1946年からの国共内戦、1919年の五四運動以降の抵抗運動・抗日戦争、1840年のアヘン戦争以降の諸抵抗運動。

 その列挙対象者をさらに具体的に明示されているのは、人民英雄記念碑の台座部分である。台座部分には、中国近代史における主な事件(アヘン戦争の原因となった1839年の林則徐の広東省虎門でのアヘン焼却事件「虎門銷煙」、太平天国の乱のきっかけになった1851年の「金田蜂起」、辛亥革命のきっかけとなった1911年の「武昌蜂起」、1919年の北京での「五四運動」、1925年の上海での労働者のデモにイギリス軍が発砲した「五・三〇事件」、1927年に江西省で起こった国共内戦の始まりであり中国人民解放軍の誕生とされる「南昌蜂起」、1937年からの「日中戦争」、1946年からの第2次国共内戦の一つで中国共産党の勝利を決定的にした1949年4月の「長江渡江戦争」)のレリーフが彫られている。

 日中戦争や国共内戦で犠牲になった中国国民党の兵士(もちろん、中国人兵士)は対象外とされているのが明らかである。国共内戦で解放軍誕生とされる「南昌蜂起」や、国民党を大敗させた「長江渡江戦争」がそれを裏付ける。

 人民英雄記念碑で祀られている対象者は、戦争や動乱で命を落とした全中国人ではなく、あくまでも共産党政権の樹立のために犠牲となった中国人、あるいは共産党政権の正統性を裏付ける近代史上の中国人に限定されているのである。

 つまりは、人民英雄記念碑は、記念対象者が政治的に限定され、きわめて政治性濃厚な慰霊施設である。同じ中国人でも、共産党のために命を捧げた人と、国民党のために戦死した人の対処がまったく違ってくる。後者は当然ながら、人民英雄記念碑から排除されるのである。

 日本は「万世一系」の国であるのに対し、中国は「改朝換代」の国である。「死ねば、神であり、仏」というのは、日本独自の文化である。日本では、死ねば誰しも神や仏となるのだが、中国は死者の身分やその死に方で分別処理されるのである。

 現政権に命を捧げた人は英雄であるが、敵側に立って死んだ人はたとえ同胞であっても、記念されないどころか、場合によって死体に唾を吐き、時には「死者に鞭打つ」のである。そういう意味で、比較文化論的に考えれば、中国が日本の靖国神社に対し反感をもつことは十分に理解できるだろう。

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