ここのところ、文庫本が読みづらくなり、近いものが見えづらくなった。老眼かと思って、昨日検査しに行ったら、老眼ではなく、軽度の加齢性白内障だったことがわかった。
老眼は40代から始まり、60歳ころには進行が止まるという。私は老眼の調整をしてもよく見えるようにならないので、老眼ではないと。白内障と聞いてびっくりしたが、加齢性白内障は、加齢にともなう現象なので、ほぼすべての人に起こり得るそうだ。発症する年齢には個人差があるが、加齢性白内障は中年以上であればいつ発症しても不思議ではないという。
私の場合、59歳の年齢にしては非常に軽度な白内障で心配はいらないと言われたが、それでもかなりショックを受けた。年を取ることは、体のいろんな変化で思い知らされる。人生の後半になると、特に気づかされることは、時間と健康という2つの、金銭で買えない、かけがえのない資産の大切さである。
しかし、現代産業の多くは、実は資本家が自ら投資するのではなく(あるいは巨額利益に比例しないほどのわずかな投資)、消費者や第三者に投資させているのだ。他人の資本を使って、自分のために巨額の利益を稼ぎ出す、まさに他人の褌で相撲を取るビジネスモデルだ。
たとえば、フェイスブックなどのSNSもその1つ。人々はSNSに熱中し、時間と健康(目や頸椎などに有害)という2つのかけがえのない資源(資本)を自分の意思で、惜しげなく投入している。地球上全ユーザーの時間と健康の資本の積み上げによってサイバースペース(仮想空間)に広告の価値が形成され、資本家がそこから天文学的数字の利益を巻き上げるのである。
いわゆる大衆の自発的、能動的「被搾取」モデルである。搾取されないために、ある計算をしなければならない。SNSに投入する自分の時間と健康の資源(資本)から、それを上回るリターン(利益)を得られるかどうかの計算だ。
私自身は日々この計算をしながら、SNSを使っている。フォローするコンテンツの取捨選択を厳格に行っている。FB友であっても、収益となるようなコンテンツ投稿の少ない方には申し訳ないが、フォローしないように設定している。もちろん先方からのフォローは拒否しない。
他方、私は自分の投稿コンテンツにも同様な注意を払っている。なるべく他人にとって少しでも役に立つだろうと思われるようなコンテンツを投稿するようにしている。もちろん、価値の有無は先方の価値判断に基づくのだけれど。