「でも・・・」論、不作為の正当化はいたって簡単だ

 本を読んで学習して、見識を広げ、知識を得る。さて、次のステップは?

 読書が好きで、良い本を読んで納得して「素晴らしい観点だ」と絶賛する人が多い。だが、自分が賛同する観点を、自分の人生や仕事に本当に実践しているかというと、話が違ってくる。

 「それはそうだけれど、でも・・・」、なぜと聞かれると、「でも」の連発で理想と現実のギャップを理由に挙げたりする人が多い。

 納得すれば、賛同すれば、すぐに実践すべきだ。せっかく良い本を読んで、感銘を受けながらも、実践できないのが残念至極だ。逆にいうと、本を読めば読むほど理想や夢が膨らみ、その一方不本意な何らかの「事情」でアクションが取れない。すると、理想と現実のギャップが広がる一方で、精神的な苦痛も増幅する。

 ならば、本を読むのを止めたほうがまだましだ。

 理想や夢を追うことは、現実の打破から始まる。現実の打破には、勇気がいる。そして、リスクもある。リスクを恐れて、不作為を選ぶと、何も変わらない。

 「変えた場合の結果は二つ、良くなるか悪くなるかだ。変えない場合の結果は一つ、それは良くならないことだ。さあ、選ぼう。変えるか変えないか」。私がコンサル現場でよく口にすることだ。

 「立花さんが言っていることはそのとおりです。でも・・・」。このような経営者や幹部もいる。私が言っていることが正しいと思ってくれるのなら、やればいいじゃないか。それだけ簡単なことだ。

 不作為を正当化しようと思ったら、百個以上の理由は簡単に見つかるだろう。「石橋をたたいて渡る」というが、渡る前に石橋をたたいて壊したら、立派な「渡れない理由」「渡らない理由」になる。橋がなくても、筏を作って渡ろう、泳いで渡ろうという信念がなければ、いつまでも対岸には到達しない。もちろん、「川の存在」や「激流」を理由にして自分を正当化することはできる。そこのあなた、それで幸せですか?