食い倒れ済州島(5)~キムさん物語と済州馬物語

<前回>

 済州滞在中にずいぶん世話になった運転手キムさんの話をさせてもらおう。

 日本人と変わらぬ流暢な日本語をしゃべる彼は、一度も日本へ行ったことがないという。高校で第二外国語として日本語をほんの少しかじる程度で勉強したが、まったく使い物にならないほどだった。

 徴兵で軍隊に入隊するが、北朝鮮と戦争になればいつ死んでもいいように心の準備をしなければならないのは韓国人の男性で、どこか平和憲法ボケの国と大違い。死ぬかもしれないので、入隊前の待機期間の1年間には、仕事に就かずに一生懸命遊びに耽ったという。

 除隊後は、済州市内の小さな観光ホテルに入社。仕事は何かというと、何でも屋ホテルマン。ドアマンから、ベルボーイ、フロント、客室清掃係、レストランのウエイター、そしてルームサービスまで、支配人以外の仕事なんでもこなすという。いま中国の労働法では、職場や業務を一つ変えるだけで従業員の同意が必要だなんて馬鹿げた話だ。だから、キムさんのようなサバイバル力のある人間は育たないわけだ。

79394_2観光タクシー運転手のキムさん

 ホテル勤務中に、日本人の宿泊客と身振り手振りの日本語会話を始め、何とか初歩的な日本語を身につける。自信の付いた彼はついにもっと稼ごうと個人タクシー業に投身。そこで日本人客を乗せながら、一年間ちょっとで日本語力を飛躍的に伸ばした。

 商売と言えば広告が欠かせない。が、広告を打つ金がない。どうすれば集客ができるのか。そうだ、インターネットがあるんじゃないか。でもホームページを作るのに金がかかる。しかたなくネットに詳しい友人に頼み込む――どうか自分のホームページを作ってくれないか。友人は困った。作ってやってもいいが、仕組みが分からないとあとで運営の他人任せではさらに費用がかさむと忠告される。ならば、ホームページの制作を自分で一から勉強しよう。パソコンに触ったこともないキムさんは、数か月をかけてついに自分のホームページを立ち上げる。

 日本人のお客さんがだんだん増えはじめると、彼は嬉しくなる。しかし、喜ぶのはつかの間。いつの間にか、客が他の運転手に取られてしまっていることに気付く。夜帰宅して溜まり込んだ予約のリクエストを処理すると、「すみません、お返事を待っている間、他の車に決まった」と客に切り捨てられる。さっそく、メールの携帯転送を始め、リアルタイムの予約対応に取り組む。

79394_379394b_3キムさん家族と一緒に食す馬肉料理

 私が問い合わせや予約したときも、必ず1時間以内に丁寧な日本語で返事が返ってくる。今回の観光中でも、昼食を食べ始めると、彼は食べ物に手を付けようとせず、ひたすらスマホにメールを打ち続ける。「すみません、このメールの日本語、大丈夫ですか、何か失礼な言い方はありませんか」と助言を求めてくる。大丈夫だよと言うと、彼が安心して送信ボタンを押す。

 翌日、「昨日メールを送ったお客さんから返事が来て、ちゃんと車の予約が決まりましたよ。立花さん、ありがとうございました」と嬉しそうだった。

 何とたくましい韓国人なのだろう。草食化する日本人と対照的だ。野心と元気があって、マーケットに敏感、失敗を恐れず、すぐに行動を起こし、守りよりも攻め。攻め、攻め、攻めまくる、正に狩猟中心の肉食型。今日の世界では、日本企業の優位性がどんどん韓国企業に奪われていくのも、この意識と本能の格差から来ているのだろう。

 キムさんと別れる最後の夕食は、奥さんと子供も呼んでの家族パーティーになった。済州市内の馬肉専門店で、たっぷりと馬肉フルコースと焼酎を楽しみ、大いに盛り上がる。奥さんはたくさん酒を飲みたいから、車ではなくタクシーでやってきた。やっぱり、韓国人女性が強い。もちろん、男性も強い。

79394_4キムさんの息子トウフンくんと

 日本ならお上品な馬刺しだけだが、ここ済州島では、馬刺し、馬レバー刺し、馬タン、馬ユッケ、馬カルビ、馬ロース、生モノから煮込み、焼き、しゃぶしゃぶ、鍋まで次から次へと馬料理が運ばれてくる。焼酎も次から次へと空けられていく。まるでジンギスカンの子孫になった豪快な気分だ。いや、実はあとで調べて分かったことだが、済州馬の祖先は、まさにジンギスカンの孫である元の皇帝クビライ(最近「フビライ・ハーン」と表記されることも多い)が済州を占領した1276年頃に持ち込まれた蒙古馬だったのである。

 キムさんによると、済州馬は優良な競走馬を育てるために大量飼育されているが、競走馬になれる馬は約2割、優秀な競走馬になれる馬はさらにそのうちの2割に過ぎない(これも、見事に「二八法則」)。競走馬落選の馬は食用に回されるという。この生存競争の原理は、日本人の普遍的な美学に必ずしも合致しないものの、超大国ロシアや中国、そして日本に挟まれる小国・韓国にとってサバイバルを生き抜く唯一の術であろう。

 生きるために、生き残るために、何をすべきか。いよいよ日本人や日本企業が真剣に考えなければならない時が来たのかもしれない。

<終わり>