産経新聞の取材を受けて、随想雑想

 本日は、産経新聞の取材、1時間以上もの長い取材を受けた。反日騒動と日中冷戦時代の日本企業の戦略転換というテーマだった。

 産経は私好きな一紙だ。

 「中国共産党政権を『北京』と呼称するのが特徴である。文化大革命期に共同通信社を皮きりに他紙が次々と国外追放される中、朝日新聞のみが中国国内に残り、以降、産経を除く他社は中国当局の台湾支局閉鎖の要求を呑んで中国に支局を開局した。これとは対照的に、産経新聞は中国当局の要求を一貫して拒否し、結果として1967年に柴田穂記者が国外追放されて以降は、北京への特派員常駐を認められなかった。以後、1998年までの31年間、北京に支局を置くことがなかった。1998年に、北京に再び開局した支局を「中国総局」とし、組織上「台湾支局」をその下に配置することで中国支局を再開した。産経新聞がこうして中国の支局を再設置した結果、マスコミ他社もそれに倣って同じ条件で台湾に支局を開局することとなった」(「ウィキペディア」より)

 その反骨精神は、私は好きだ。産経好きといったら、右寄りではないかと指摘される場面もたまにあるが、私は産経が右寄りとも思っていないし、自分も右寄りとも思っていない。もちろん左寄りの人から見れば、真ん中でもその右に見えてしまうのだろう。相対性的には、左よりは右のほうがいいという考え方は、私はもっている。