2025年4月24日、わが家の長女ハナ13歳、次女マル12歳の誕生日(いずれも推定年齢)を迎えた。もっとも、これは厳密な誕生日ではない。ハナが野良として保護・収容され、わが家に迎えられた日を起点とし、当時の推定年齢をもとに設定した、いわば「仮定の誕生日」である。保護時の年齢から逆算すれば、実際には14歳に限りなく近いはずである。
ハナはベルジアン・シェパード、すなわち中~大型犬である。ChatGPTによれば、14歳の大型犬は、人間に換算しておおよそ90~100歳に相当するという。つまり、すでに「超高齢」と呼ぶにふさわしい年齢に達している。
そのような高齢にもかかわらず、昨年末に確認された悪性黒色腫(メラノーマ)の転移から、すでに4か月以上が経過した。当初、動物病院の医師からは「余命1〜2か月程度」との宣告を受けていた(参照:2024年12月24日付『長女ハナとの最後の日々に寄せて』)。しかしながら、その後ハナは中医学による鍼灸と漢方薬治療を受けながら、症状の進行を最小限に抑え、奇跡的な時間を生き延びている。
とはいえ、現実には病状は確実に進行している。3月以降、自力での飲食は不可能となり、常時口からよだれを垂らすようになった。現在は、フィリピン人家政婦が、すり潰した食事と豆乳を1日2時間かけて、一さじずつ口に運んでいる状態である。まさに介助なしには生きられない、老いたる存在である。
このような症状の変化を受けて、家族としては「痛みはあるのか」「苦しんでいないのか」と案じずにはいられなかった。しかしながら、主治医は「おそらく痛みはひどくない」と明言している。なぜそのような見立てが可能なのか、ChatGPTに見解を求めたところ、以下のような説明を得た。
がんが頭部に転移し、神経を圧迫・侵襲する場合、必ずしも強い痛みが発生するとは限らない。むしろ、感覚神経自体が破壊されることで、「痛みを感じる機能」そのものが失われる可能性があるという。たとえば、顔面神経や三叉神経、舌咽神経、迷走神経といった咀嚼や嚥下、感覚伝達にかかわる神経が障害されると、「痛みの知覚」よりも「機能の喪失」が先に現れる。
すなわち、よだれが常時出てしまう、飲み込めない、という状態は、神経機能の破綻を示すサインであり、逆に「激しい痛みを感じているわけではない」可能性を示唆している。
また、高齢犬においては、加齢そのものによって感覚が鈍化している場合も多く、さらに鍼灸や漢方薬による鎮静作用も影響している可能性がある。したがって、ハナが現在「比較的安らかに見える」ことは、単なる希望的観測ではなく、医学的にも裏付けのある推論だといえる。
このような状態をふまえ、主治医は、がんの転移の進行を明確に把握するためのMRIやCTスキャンを提案していない。これもまた、非常に慎重かつ妥当な判断である。なぜなら、これらの検査には全身麻酔が必要となるが、超高齢の大型犬にとって麻酔は極めて大きなリスクを伴う。肝機能や腎機能、心肺機能のいずれもが衰えた状態では、麻酔から目が覚めないという事態も十分に起こり得る。検査そのものが「命を奪う」リスクを含むのであれば、行わないという判断は医学的にも倫理的にも正当である。
同様に、手術、抗がん剤治療、ワクチン接種といった一切の医療的措置も、現在は行っていない。がんの進行度合いや高齢を考慮すれば、こうした「積極的治療」はもはや延命よりも苦痛を増やす結果となりかねないからである。医療の目的が「生かすこと」から「苦しませないこと」に変わる――これは、人間のホスピス緩和ケアとまったく同じ発想である。
家族の一員として、ハナにこれ以上の苦しみを与えず、静かで安らかな最期を迎えさせたい。医師の示した方針は、決して「見放した」ものではなく、むしろ愛情と敬意に満ちた医療判断であるといえる。苦しみのない時間を、ただ一日一日大切に過ごす。その先に、別れが来るとしても、すでにこの奇跡のような日々は、かけがえのない贈り物なのである。
ハナ、11年間、本当にありがとう。もう少し一緒にいようね。