表現の自由か宗教への冒涜か、シャルリー襲撃テロ事件の結論なき議論

 仏誌「シャルリー・エブド」襲撃テロ事件。世論が割れている――。表現の自由か、宗教への冒涜か。

 知らずに二者拓一の泥沼戦に陥っていないか。私から言わせてもらえれば、ある意味で両者とも正論だ。法・理・情という3つの側面から考えてみたい。

 法。法的には、「シャルリー・エブド」誌はフランスの法律に違反していないし、法に保証されている表現の自由という正義のもとで、批判される対象とならない。一方、テロリストの襲撃・殺人行為はいうまでもなく、違法であって反社会的な行動である。

 ただ一つ、忘れていけないのは、イスラム教は、シャリーアという独自の法律をもっていることだ。このイスラム法は、コーランと預言者ムハンマドの言行を法源とする法律であって、ローマ法を起源としないイスラム世界独自のものである。フランス法において適法性があっても、イスラム法に照らして違法となった場合、どう考えるべきかという問題が横たわっている。雑誌社がテヘランやリヤドになく、パリにあることで合法性が成り立っているだけの話である。そもそも、イスラム教という法体系がこの世の中に異色といえども、実在していることは見落としてならない。

 理。いろんな理がある。二つだけ取り上げよう。まず、風刺という概念に対していろんな捉え方がある。風刺はユーモアなのか、侮辱や冒涜なのか、捉え方はいろいろ。いわゆる風刺画の素材となる人物の似顔絵、パロディの要素を持った、漫画チックな肖像画やイラストレーションを芸術として捉える場面も多く、欧米の街角ではお金を出して街頭芸術家に自分の歪んだ顔を描いてもらう風景は日常的である。「ああ、可愛い」というご愛嬌の世界だ。だが、この合理性はイスラム教においては存在しない。合理性の存在それ自体の合理性問題である。

 次に、風刺の対象。いくらご愛嬌とされる似顔絵でも、台詞や動作、場面などストーリー性を付与することによって風刺性が生まれることがある。風刺の対象といえば、筆頭に国家首脳や政治家、財界の著名人などが挙げられる。いわゆる強権にある者が風刺の対象とされる合理性が存在するからである。では、宗教を風刺対象としていいかどうか。シャルリー誌はユダヤ教やキリスト教をも風刺の対象としているから、なぜイスラム教だけはダメなのか。という議論になると、それはイスラム教だからだという回答になる。

 情。これは、もっとも難しい問題だ。もはやここで論じても収束できる話ではないので、やめておこう。一つだけ、雑誌社は営利組織である以上、情という要素を果たして価値基準の中に折り込んでいるかどうかの問題がある。

 結論が出ない。出せない。理や情のレベルでどんな正解があったとしても、強制力がない。最終的に法の規範に期待を寄せるよりほかない。ここまで戻ってくると、言論や表現の自由というセンシティブ・イシューが再浮上する。産経新聞の加藤元ソウル支局長の出国禁止問題がまさに好例だ。加藤氏がパリ支局でオランド仏大統領の男女関係をいくら書いても、おそらくフランスからの出国禁止はありえないのだろう。

コメント: 表現の自由か宗教への冒涜か、シャルリー襲撃テロ事件の結論なき議論

  1. 「フランス法において適法性があっても、イスラム法に照らして違法となった場合、どう考えるべきかという問題が横たわっている。雑誌社がテヘランやリヤドになく、パリにあることで合法性が成り立っているだけの話である。」

    この部分。少し疑問があるのですが、フランスにおいて、フランスの法とイスラムの法は同等なんですか?雑誌社がパリにある以上、法律という点ではフランス法が全てであり、イスラム法を同等の法と取り扱うべきではないでしょう。

    イスラム法も法であるとしたら、俺ん家のルールも法だし、会社の規則も法だとなると思います。ここでのイスラム法は法という名があっても情や理に含まれるものではないでしょうか。

    もちろん、イスラム法に反してはいけないという法を国家として制定している国では別の話ですが。

    1. 大仁田さん、良い質問ありがとうございます。

       この質問に完全に答えるには本1冊くらい書けるような内容です。私もマレーシアに住んでからの経験や勉強で得た知識に限って申し上げますと、概ね3つのグループに分けて考える必要があります。

       グループA 政教分離の「二重法」国家。たとえばマレーシアでは普通のマレーシア法とイスラム法、二重に存在します(表現が適切でないかもしれません)。マレーシア法は国法であり全国民(もちろん滞在中の外国人も含む)に適用しますが、イスラム法はムスリムにのみ適用します。ただ、二重の存在であるがゆえに、マレーシア法と運用それ自体がイスラム法に大きな配慮(理や情の要素もあるのでしょう)をして、それを尊重する内容が多いのです。

       グループB 政教分離の単独法国家。日本は日本法だけで、フランスもひとつのフランス法しかありません。するとイスラム法への配慮はおそらくあまりなされていないのでしょう。イスラム法あるいはイスラム教への配慮は各自の価値観といったガイドラインに委ねる形になります。すると、雑誌社がパリに法人登記していれば、ムハンマドをどう描こうとフランス法の「表現の自由」で容認されてしまう。あとはすべて雑誌社自身の判断に委ねる。

       グループC 政教一体の単独法国家。たとえば、サウジアラビアでは宗教が法律となりコーランに基づくイスラム法(シャリーア)により統治が行われている。これはムハンマド冒涜の行為があれば、不敬罪に相当し死刑を適用されることもあります。

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