ロミオとジュリエット 愛憎と美醜の感性的目線を乗り越えて

 金曜日、久しぶりの運転。大渋滞のなか、18時にクアラルンプールKLCCに到着。企業の人事担当者らと会食、TPP発効後のマレーシア労働組合について意見交換。

 20時過ぎにペトロナスツインタワーの中にあるコンサートホールで、モスクワバレエ団の来馬公演を鑑賞。「ロミオとジュリエット」、愛の悲劇という大筋の話は知っていたが、詳しい物語の「精読」は実は初めて。

000開演前の会場

 中世イタリアを舞台に、互いに敵対する貴族両家の若者と令嬢の悲恋を描いた物語。元を遡れば、そもそも原型はギリシア神話「ピラマスとシスビー」ではないかと。敵同士の男女が恋に落ち、最終的に主人公二人が自殺する。いうならば、「愛」が「憎」に潰されたと。

 この手の話は基本的に二項対立の概念が強く刷り込まれている。まずは、劇中人物の「愛」と「憎」。愛は美しい。憎は醜い。そこで連鎖的に「美」と「醜」という媒体的二項対立が惹起され、その媒体を通じてやがて、観客の「美」に対する「愛」と「醜」に対する「憎」が感染的に喚起される。

 劇というのは、感性に訴えるのが手法であるから、あえて別のしかも冷徹な目線で見つめてみたい。

 貴族両家の敵対関係は政治的にも経済的にも関係しているだろうから、言ってしまえば両家とそれぞれの元に集結する大きな利権集団の対立でもある。ロミオとジュリエットはこの二つの利益集団の大きな利益よりも、まずは二人の愛という小さな利益を優先させたいという思惑を抱え、そこで衝突が生まれるわけだ。

 逆の仮設を立ててみよう。愛による結合よりも、政略結婚。欧州ではハプスブルク家はまさに政略結婚によって大成功を収めた王家であるし、ユーラシア大陸のモンゴル帝国もチンギスハンの一族はさかんに政略結婚を進めた。古代中国の王昭君が漢から匈奴の王に嫁がされるのも、日本では織田信長の妹が浅井家の当主浅井長政に嫁がされるのも、有名な政略結婚であった。

 政略結婚に応じる男女たちは、当人同士の愛という利益よりも、利権集団の利益を優先させる。それが集団利益の犠牲だという主張もあれば、美談として語り継がれることもある。集団利益を無視して個人の愛を主張するカップル、そして個人の愛よりも集団利益を優先させるカップル。もはや、単純な美醜や善悪の二項対立的な基準では判断できない。

 ロミオとジュリエットの話に戻そう。この二人は出合って1日目で互いに一目惚れし、2日目にはもう人目を忍んで結婚をしてしまう。そして、ふたりがそれぞれ後を追うように自殺するのはなんとわずか5日後である。現代人的な感覚では、果たしてこんなことはありえるのかと、疑問をもってしまうほどだ。

 年齢設定について調べると、ロミオは16~17歳、ジュリエットは13~14歳(社交界デビューの年齢)という異常な若さだった。精神的な未熟さも悲劇の一因を成すならば、お涙頂戴の美しい物語にもいささか素直に涙を流せなくなってしまう。