人間の5つの自由、立花流の自由論

 人間にとって、自由を手に入れることは、幸せの源泉である。思うには、人間には5つの自由がある――。時間の自由、場所の自由、金銭の自由、言論の自由、そして思考の自由。

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 時間の自由――。自分で支配できる時間をもつこと。これは必ずしも拘束される時間を否定するわけではない。会社に出勤して拘束されても、やりがいがあって好きな仕事ができれば、それでいい。かといって、起業して一見時間の支配権を手に入れたかのように見えても、結局より多くの金銭の自由を得るために、時間の自由を犠牲にしているのでは、話にならない。時間の自由と金銭の自由の衝突である。

 場所の自由――。行きたい場所にいつでも行け、住みたい場所に住めること。これも金銭の自由にけん制される。基本的に仕事のある場所に住まなければ、稼げなくなる。となれば、旅の軍資金を失い、行きたい場所にも行けなくなる。私自身も住みたいマレーシアに移住するかしないかで、かなり迷った。マレーシアにはまとまったコンサル案件が取れないことを知っていたからだ。最終的に、「職住分離」に踏み切ったが、かなりリスクを抱え込んだ。

 金銭の自由――。これはもう言う必要もなかろう。ある程度の生活レベルを確保するために、一定の資産と安定な収入という2つの要素が欠かせない。お金がすべてではないというが、お金がなくても困る。お金は人間の呼吸のようなもので、人間は呼吸のために生きているわけではないが、呼吸がなければ、人間はそもそも生きていけない。さらにいうと、金銭の自由と他の自由とが互いにけん制し合っていること、影響し合っていることも無視できない。

 言論の自由――。言いたいことを基本的に自由に言えること。2つの不自由が存在する。まず、受動的不自由。独裁国家の大富豪であっても言論の自由はない。変なことを喋ったら、人身の自由まで奪われる恐れがあるから。次に、自主的不自由。人間関係や仕事の関係で、特に上司や顧客などの相手に言いたいことが言えない。言ったら人間関係が崩れ、出世も商売も成り立たなくなり、最終的に金銭の自由を失うからだ。

 最後に、思想の自由ではなく、思考の自由――。これはもう究極の自由であり、物事の本質を見抜き、自由な思考をもつこと。あらゆる常識や固定概念に縛られることなく、問題の解決に取り組み、自由獲得への障害を排除していくパワーの源泉である。思考の自由を得た時点で、人間は真の意味での自由の身である。

 私自身は各部門満点でないものの、ほぼ満足できる程度の時間、場所、金銭、言論という4つの自由を手に入れたが、思考の自由についてまだ道半ば。それ故、総合得点は100点満点中の80点くらいではないかと、自己採点する。自分の経験だと、総合得点50点ポイントを通過すると、かなり「自由感」を味わえる。

 最後に付け加えておくが、自由を得るには、相応の犠牲という対価支払いから逃げられない。人生は複式簿記である。貸借平均の原理が働く。失うもの、得るもの。借方と貸方の合計額は常に一致する。ある自由を得るために、別の自由を犠牲にする。これは、人それぞれの価値観で取捨選択が行われるのである。

 自由は素晴らしい。でも、高価だ。

コメント: 人間の5つの自由、立花流の自由論

  1. 大変興味深いご主張ですね。

    自由を中心に幸福度を測られるお気持ち、強く共感するものがあります。

    また、自由の代価として何を支払うかについても考えさせられます。

    自由といえば、ご紹介のあった5つの自由以外に、冠婚葬祭からの自由とか、親戚関係からの自由とか、友人関係からの自由とか、人間関係に関するものもありますね。
    子供を作らなければ、養育からの自由などもあります。

    これらから自由になるのも幸福繋がるケースが多々ありますが、代価もあります。

    ネクタイをしなくて良い自由とかスーツを着なくて良い自由とか、これらはなかなか達成が難しいです。

    幸福についてもそうですね。自分の自由を幸福の計測値として用いる人間もいれば、他人の自由というか幸福を自分の幸福と感じる人間もいますね。

    他人でなくて、子供の場合もそうですね。子供の幸福のためにタバコやお酒を我慢するのが幸せという人もいるし、妻にそれを強制されて辛いだけの人もいます。

    自由と不自由、幸福と不幸のトレードオフは難しいですね。

    1. 自由を計測する指標はいろいろあります。ただやはり仰る通り、基本的にトレードオフの関係だと思います。

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