すっぽかしの運転手と神様の意思、アッラーに感謝して・・・

 日曜、月例の上海出張。

 早朝5時30分に予約しておいたエアポートタクシーは、時間を過ぎても一向にやってくる気配がない。運転手の携帯に電話してもつながらない。これ以上待ったら、飛行機が待ってくれないので、仕方なく慌ててタクシー配車アプリの「My Teksi」を使って車を呼ぶ。

 辛うじて遅れることなく、クアラルンプール空港に到着。でも、これまで、すっぽかしは一度もなかった。いつもの通り、前日念押しの電話もちゃんとかけて確認したし・・・。急用があっても、運転手の仲間内に仕事を回すので、絶対に代わりに誰かがやってくるはずだ。

 寝過ごしかな。マレー系の運転手なら、そういう過失に、私は文句を言わないようにしている。言っても無駄だからだ。寝過ごしのようなことは、人間なら誰しもあり得る。これはひとえにアッラー(神様)の意思、どうにもならないことだ。

 お客さんとの約束、契約はどうなんだと言われても、ムスリム(イスラム教徒)は顧客との契約以前に、まずアッラー(神様)との契約がある。この2本の契約があって、神様との契約が優先されることはいうまでもない。これは宗教だがら、論理的な議論ができないことであって、議論すべきでもない。

 あまり議論を仕掛けても結論が出ないし、「だから、あの人たちはダメなんだ」と無言につぶやかされるのがオチだ。「あの人たち」とは非ムスリムのことで、一神教のムスリム以外の人間は基本的に多神教(偶像崇拝)、無信仰者と思われているらしい。多民族多宗教の共生国家であるが故、こんなことを口に出すことは基本的にないが、密かにそう思っている人がいてもおかしくない。

 私として、ムスリムのそういう気持ちや感覚は理解できる。彼たちの宗教や価値観、人生観をも尊重したい。イスラムの世界は奥深い。自分はこれからも研鑽を積み、理解や教養を深めていきたいと考えている。

 すっぽかしの運転手は今日もアッラーに感謝を捧げ、素晴らしい1日になったことであろう。

<続編、実は当日上海空港でも迎車すっぽかしに遭遇>