ニーチェがいう。「最小の幸福でも最大な幸福でも、幸福を幸福たらしめるものはいつもただ一つ、それは忘れることができるということ、あるいはもっと学者っぽく表現するなら幸福が続くかぎり非歴史的に感じる能力である」(「反時代的考察」第2編1)
「非歴史的」という言葉が面白い。ニーチェはこう解説する。「忘れることができて、自分を限られた視界のうちに閉じ込めることができる技と力」(「反時代的考察」第2編10)。
「歴史」とは瞬間というひとこまひとこまの連続である。そのひとこまひとこまに幸福を感じることができれば、その瞬間の連続が幸福状態の連続になり、あえて歴史に何らかの意義を見出す必要もなくなる。
歴史といえば既成事実の積上げである以上、事実そのものを変えようがない。だが、歴史への感じ方、受け止め方は変えられる。愛する人をいざ失ってみると、その人と一緒に過ごした日々を思い出し、もっと一緒にいる時間を作れば良かったと悔しがる。
ニーチェの指摘で解釈すると、これは2つの意味がもたれる。
まず、川下からいくと、「非歴史的」ではなく、「歴史的」に感じることによって不幸に陥ることが示唆される。忘却ができないからこそ、不幸になると。往時のひとこまひとこまの瞬間という歴史が現在の不幸をもたらしているのである。
次に、川上まで辿っていくと、そのひとこまひとこまの瞬間という歴史的事実は過去も現在も何ら変わりがない。結果的にその歴史的事実に対する感じ方や受け止め方の変化によって、人間が幸福や不幸を味わうのである。
そこでひとこまひとこまの瞬間に幸福を感じ取ることに大きな意義が見出される。
ニヒリズム(虚無主義)とは、歴史にわたって世界や人間の存在それ自体の意義、目的あるいは価値の存在を否定するものである。ただ、そこで単なる存在である歴史的事実に意義付けていくのが人間である。疲弊や絶望、妬みや怨恨、無力の故の漂流といった消極的・受動的ニヒリズムもあれば、無価値だからこそ価値をつけてやろうという積極的・能動的ニヒリズムもある。
社会の不公平に不満を感じたり、強者や恵まれている者に妬みや憎しみの感情をもったりすると、ルサンチマンに陥る。それよりも、すべての負の現実を試練として喜んで受け入れ、敗者復活や逆転に全力を挙げる。それこそが能動的ニヒリズムである。
「能動的ニヒリズム」立花流哲学に感銘。
ニヒリズムの能動的と受動的という二義性がニーチェ理論です(ニーチェ「力への意思」)。私が深く感銘を受けた次第です。
正に知行合一の境地、思索と行動のバランス。私の各人への独断評価
坂本龍馬:3 : 7 、 勝海舟:7 : 3
リー. クワンユー: 5 : 5
平均日本人: 8 :2、中国人 2 : 8
立花さん(貴殿) 6 : 4
私(戸田) 2.5 :7.5
思索の結果は、必ずしも行動に出るとは限りません。不作為を選択するときもありますよ。
6:4は正にこのコメントにあり。