人間インフラなきグローバル化の陥穽、マレーシアマガジン取材

 今朝は自宅で、「マレーシアマガジン」の取材を受け入れる。

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 グローバル化の基本的課題から切り込み、日本人の海外進出を伴う理念面・技術面の問題、教育現場における哲学・フレームワークの構築、現代日本人と日本社会が抱えている「病」、メディアと視聴者の連帯的歪み、マレーシアという多民族社会の仕組み、アイデンティティの確立まで、要素やテーマをめぐって話しがほぼ2時間に及んで展開した。

 正直、私は「グローバル」アレルギーである。ここ数年、いつのまにかどこもかしこも「グローバル」「グローバル」と騒がれる。「グローバル」とは何かという問いにほとんど触れることなく、外国語を勉強して海外にどんどん出て暮らしたり、働いたり、起業したりすれば、これが「グローバル」と思ったらあまりにも浅薄だ。

 国際人になる以前に日本人であり、日本人である以前に人間である。人間がもつべき基本的な基盤や生きる力、サバイバル力といった「人間インフラ」が軽視・無視されている。インフラが疎かな状態で、建物のデザインばかり考えても、立派な建物が建たない。

 いまの日本人に必要なのは何かというと、やはりこのような「人間インフラ」だ。ぶれない何かを持つことだ。ひょろひょろとした上辺の「和」や世俗的な同調が日本人の民度を間違いなく低下させる。二流国家の入口はもうすぐそこにあって、足一本踏み入れているような危機を目前にしつつも、いまだに深刻な課題として見られていないところは、まさに絶望的だ。

 提案はと聞かれたが、「ない」と答える。破滅が再生の機会だとすれば、喜んで破滅を迎え入れるとよい。