フェイスブックでのKさんの記事から一節を引用する。
「うまくいかない人はうまくいかない理由を言い訳にし、正当化する。正論が欲しい。うまくいかない人はうまくいかない人を仲間にしたい。だからドリームキラーはドリームキラーを生産する。特別扱いされなかった人たちは、特別扱いされなかった人たちとつるむ。何も現実を変えられない人たちと。そういう人たちはある意味、自分の未来を諦めている」
誠に本質を突く洞察である。まさに、昨日の記事に書いたこと、「力への意志を解釈への意志に変更する」。力で世界(現実)を変えられない人間は、解釈で世界(現実)を変えようとする、ということだ。
さらに、類は友を呼ぶ。同類者が集えば、うまく行かない理由や不幸の原因を、社会に、社会現象に、制度に、政治に、会社に、上司に、同僚に、異性に、とにかく他者になすりつけ、「そうですよ。○○が悪い。あなたは悪くない」と承認し合うのである。1人だけの自分解釈では心細いので、集団の自分解釈を集結するのである。
ひと時の、つかの間の平和を得、自分解釈によって付与される正義感に酔い痴れる。自分解釈で変えられた世界が一時的にバラ色に見えるのだ。その通りだ。麻薬だ。法に禁じられていない麻薬ほど怖いものはない。
真実の世界は昨日も今日もそこにあり、何も変わっていない。そして、明日も変わらないだろう。多くの人が自分解釈で世界を変える作業に余念がないからだ。
立花先生のご怒りはごもっとも。
無気力な人間たちが社会を駄目な方へ駄目な方へと引っ張っていくのが歯がゆくて仕方がないのでしょう。
また、そういう状況をどうすることもできない自分の無力にも怒りを感じておられるのに違いありません。
現在ある社会は、我々全ての過去の行為の結果である以上、社会の構成員である誰もが、その結果に対する責任を逃れることはできません。
もっとも、結果が表れる前に死んでしまえば、影響を受けずに済んで、残るのは道義的な責任のみということになりますがね。
宮島さんご指摘のとおり、私自身も無力を感じます。マジョリティーに対抗することができません。私のような意見はいまの日本では、メディアにすら載せられません。自分のブログでも、これまで炎上することが度々ありました。まあ、でも書きます。