「陰謀論患者」の病理学、解釈で世界を変える正義錯覚

 ネット上の発言は、玉石混交。「陰謀論」がもっともくだらない部類の一つである。

 ユダヤ陰謀論やアポロ計画陰謀論から、JAL123便墜落陰謀論、911同時多発テロ陰謀論まで実に多彩である。最近は、日中を戦争させる米国陰謀論や参院選不正選挙陰謀論など、そのときそのときフレッシュな時事ネタに合わせていろんな陰謀論が生み出されている。

 「陰謀論」の主体は一般に、国家や警察、軍、検察、政治家集団、マスコミ、大企業や巨大資本、エリート層などといったいわゆる社会の強者集団である。このような集団が特定の政治的あるいは経済的動機を持って結託し、一般人の見えない、知らないところで事象を操作したり、事件を作ったりしながらも、または真実を衆目に触れないように伏せている、という理論(ストーリー)である。

 結論から言おう。陰謀論を作り出す人は頭のいいやつだが、それを信じるのが馬鹿だ。世の中、馬鹿が多いので頭のいい奴はうまくそれを利用しているだけだ。陰謀論のメカニズムを解明しよう。

 まず、人間は猟奇趣味の本能をもっている。ロジカルシンキングという無味乾燥な論理的検証よりも、面白い陰謀論に飛び付く。そこは、陰謀論がよくロジカルシンキングと間違えられるところだ。「常識を否定する」「常識を疑う」という共通点を持っているからである。ただ本質的な違いがある。陰謀論は、仮説を立てて論証するという科学的なアプローチを取らない。猟奇的な仮説を真実そのものと決めつけるのが陰謀論だ。

 次に、人間は自慢したい優越感の本能をもっている。一般大衆の知らないことを知っている。あたかも世間を裏側から洞察しているかのように自分の知的部分を世間に誇示する。根拠なき陰謀論がときどき矛盾だらけなのに、それを知らずに、陰謀論を根拠として他人や世間を否定し、批判する。そこで陰謀論の根拠について反問されるとすぐに答えに窮する。根拠なき似非根拠を根拠とすると、惨めだ。論破されるよりも、議論できないからだ。

 なかに、陰謀論の内容やメカニズムすら理解していない人も多い。陰謀論には時々高度な専門知識が含まれている。金融知識もその一つ。特定の利益集団が金融市場を操っているとか、それを通じて特定の目的達成を狙っているとか、というような場面である。すると、為替や株価、債券、コモディティ相場の変動メカニズムや原理を理解しないと、陰謀論の説明もできない。そこで馬脚を表す。

 さらに、人間は正義側に立ちたいという本能をもっている。自分が正義の代弁者でありたい。自分を正義化するために、一番良い方法は「悪」「敵」あるいは「仮想敵」を立てることである。善悪の二極化によって、正義感に酔い痴れるのである。特に自分が弱者(または疑似弱者)だったり、差別される側だったり、時々単なる被害妄想に陥ったりすることも多々ある。最近流行りの「庶民感覚」がまるで絶対善であるかのように誇示され、「われわれ庶民」や「われわれ国民」の面で「悪」の体制を批判する。まさにその典型である。

 最後に、人間は「解釈で世界を変えようとする」本能をもっている。思う通りにいかない世の中が嫌で嫌でしかたがない。ただ、そんな世の中を変える力を持たない自分でできる唯一のことは、解釈で世界を変えることだ。ニーチェいわく「力で世界を変えられない者は、解釈で世界を変えようとする」現象である。

 最後の最後に、「陰謀論」が仮にすべて真実であるという仮説を立ててみよう。国家などの権力集団といっても、個人個人の集合体である。このような大集団がいかに結託して事象を操作し、悪行を成し遂げるか。絶対に世間にばれない完全犯罪の物理的可能性はあるのだろうか。仮にそれが可能だとしても、どれだけのコストがかかるか、陰謀が暴かれたときの巨大リスクを、誰が取るのか。国家などの集団利益のために、個人個人がそこまでやるのか。費用対効果、リスク対リターン次元を考えても、そんな陰謀論に喜んで飛び付くのは、ただの情弱連中以外考えられないだろう。

 だから、陰謀論のほとんどがいつまでも伝説の謎として語られ続けている。その一方、来る日も来る日も厳しい社会という現実は、何ら変わらないのである。

 陰謀論に関して、ざっとこんな感じではないかと思う。陰謀論を持ち出す人とは本気で議論する意味はない。むしろ、心理学的な部分を探求したほうが価値があるように思える。可哀そうな人たちであるから、過剰ないじめは禁物である。

コメント: 「陰謀論患者」の病理学、解釈で世界を変える正義錯覚

  1. 非常に興味深かった立花様の今回のコラムをきっかけに、自分なりに陰謀論にハマる人の心理背景を考察してみました→http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-73ac1e.html

    コロナが流行し人々の不安や悩みが増加したためかコロナに関する陰謀論も流行しております昨今です。こういったことを考えるきっかけになったコラムを書いてくださってありがとうございました。

  2. 陰謀論を妄信する心理現象は、もしかすると「信仰」と非常に似たものではないかと思います。
    どちらも根拠のない内容を信じますし、そもそも根拠なんか求めてない気がするので。

  3. 先生が何を持って陰謀論というのかそこがわかりませんでした。力ある者も無い者も自分の夢を実現するために計画を練り、その元に誠意や正義があろうとなかろうと勝つためにあの手この手を考えるのは国家も会社も個人も同じで、策略、謀略、陰謀と呼ばれるものはどこにでもいくらでもあるはず。
    私はそういうものに弱い、引っかかりやすい傾向が真面目な日本人にはあると思っていて、「まさかぁ・・・、そんなことがあるわけないでしょ」と釣られてしまうことのほうが危険だと思っています。ある人にとっては陰謀でもある人にとってはただの計画でしか無いかもしれない。この計画性が無ければ当然陰謀もないわけで、私はそれの日本人の欠如が問題だと思っています。政治家へのロビー活動さえ策略、陰謀という悪いイメージを持つ人さえいる日本。
    陰謀が暴かれた時のリスクとおっしゃいますが、アメリカのトンキン湾事件一つとっても後にバレても何の問題にもならない。イラク戦争の理由も同じく。またまさかと思うような陰謀は実際に色いろあるんじゃないでしょうか。ケネディ暗殺はオズワルドの単独犯ですか?戦前のコミンテルンの暗躍も同様。GHQのワーギルドインフォメーションプログラム、極東裁判も同様。計画と陰謀の線引きはどこにあるんでしょう。
    私はただの計画でもそれを知らない、気が付かなかった人にとっては陰謀に見えるだけの話であるとしか思えないし、陰謀論そのものを否定するのは愚民化政策に似ていると感じます。

    1.  「陰謀論に引っかかりやすい真面目な日本人」というのは、愚かさを「真面目」へと解釈を変え、さらに「日本人」という普遍性で解釈する、まさに典型的な症状です。陰謀論に引っかからない「不真面目な日本人」もたくさんいますが・・・。

       さらに「陰謀」と「計画」のごちゃまぜ、「陰謀論」の基本定義(本文記載)まで解釈を変えてしまい、「計画論」を動員して「陰謀論否定は愚民化政策だ」という独自の解釈暴走に走るわけですから、議論も不要ですね。

       付言しておきますが、あなたの「解釈暴走」を否定するつもりはありません。それが建設的なものになれば、大いに結構なことですから、是非別の場で活躍されてください。

      1. 議論をふっかけたわけではありません。先生のおっしゃる【「陰謀論」の基本定義(本文記載)】がどれなのか私には(今でも)理解できず、陰謀そのものが世の中に存在しないと書かれたように感じたのでそこをはっきり知りたいと思いコメントさせてもらいました。
        ただ日本人の傾向としてお上がいうこと、メディアのいうこと、識者の言うことを素直に聞く傾向はあると思っています。昨日「新聞を信じるか」の国別のアンケート内容を知り、やっぱり・・と思ったばかり。
        先生のコメントに「怒り」を感じるのですが、どうかなさいました?

        1.  「怒り」と感じ、解釈したのはあなたですから、「なぜ」という答も私に求めるのではなく、あなたが解釈すればよいだけのことです。あなたの感受性や解釈には、まったく興味がありません。

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