イントラムロス散策、中性的目線と植民地不正義論の滑稽

 11月30日(水)、午前中はマニラのイントラムロス(Intramuros)に足を運ぶ。サンチャゴ要塞やマニラ大聖堂を含めて3時間かけてゆっくり見学した。

161130-1042-manila-intramuros

 イントラムロスとは、スパニッシュ・マニラのこと。16世紀にスペイン人入植者によって建てられた要塞都市。言い換えれば、スペイン時代には、イントラムロスはマニラそのものであった。

161130-1116-manila-intramuros

 18世紀以降の教育の拡充と19世紀の自由主義思想の流入、そしてホセ・リサールが発動したフィリピン独立運動までは、フィリピンの植民地状態があくまでも正当なものであった。これは何もフィリピンに限った話ではない。

 多くの概念は歴史の流れとともに様々な位置付けを付与されてきた。植民地化とは、国家主権を国境外の領域や人々に対して拡大する政策活動のことである。そもそも国境とは何か。固有領土という概念はまたどのように理解すべきか。果たして絶対的定論はあったのだろうか。

 殖民地主義は不正義だ。そもそも、地球上いわゆる主権宣告がなされていない、あるいは曖昧だった「空白領土」が残存しなくなった時点で、占領や収奪というイメージから、植民地主義が不正義の範疇に納められたのであろう。後付け的な定論を抱え、歴史上の過去に逆跳躍して植民地主義を批判、否定すること自体が滑稽である。

 史実は、中性的な目線を好む。植民地時代の歴史に対して、極めて中性的に捉える国々は、ある意味で成熟した大人の姿勢として評価に値する。そういえば、スペインの植民地統治を痛罵するフィリピンの政治家はいたのだろうか。