本物馬鹿と偽物馬鹿、有権者と政治家の馬鹿話

 日本には馬鹿な政治家が多い。馬鹿な政治家が多いのは、彼らに一票を投じる馬鹿な有権者が多いからだ。

 馬鹿な有権者は概ね本物の馬鹿だが、馬鹿な政治家には、本物の馬鹿と偽物の馬鹿がいる。偽物の馬鹿政治家は、本物の馬鹿有権者を利用して政治家の座にのし上がる。

 偽物馬鹿政治家は、マーケティングに長けている。彼たちは、本物馬鹿有権者の考えていること、聴きたいこと、やりたいこと、やりたくないこと、これらの全てを熟知している。そして、馬鹿に合わせて馬鹿を平気で言うのだ。

 民主主義のもっとも馬鹿なところは、馬鹿も馬鹿な1票をもてることだ。その馬鹿な1票も、まともな1票もみんな同じ1票だ。これほど馬鹿なことは世の中ほかにあるか。

 偽物馬鹿政治家が、本物馬鹿有権者の馬鹿な1票の積み上げで当選しても、馬鹿なことを言い続ける。しかし、心中は馬鹿な有権者を徹底的に馬鹿にしている。

 「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎない。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされる。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくだろう。国がどんな法律や政治をもっているか、そこに国民の質が如実に反映されているさまは、見ていて面白いほどだ。これは水が低きにつくような、ごく自然のなりゆきなのだ。りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのだ」

 サミュエル・スマイルズ「自助論」の1節である。レベルはつねに低いほうに合わされる。馬鹿はどんどん更なる馬鹿へと変質していく。

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