予想を超えるスピードで香港情勢が変わろうとしている。拙稿『香港デモ終息するのか?政府が要求を飲んだ本当の理由とは?』に指摘しているように、これからの香港情勢に決定的な影響を与えるのは、米国の「香港人権・民主主義法案」だ。この法案を裏付ける基盤となる「逃亡犯条例」が撤回されたにもかかわらず、米議会での審議に向けて着々と準備が進んでいる模様だ。つまり、香港「逃亡犯条例」の撤回と米国「香港人権法案」の取り下げ、というトレードオフは成立しないわけだ。
● 「香港人権法案」はなぜ必要か?
「香港人権法案」の発端は香港政府の「逃亡犯条例」改正案にあり、条例の施行によって香港の自由や人権、自治が侵害され、米国を含む他国の香港における安全や利益が脅かされるから、何とかしないといけないという背景があった。
ところが、9月4日に香港政府が条例の完全撤回を発表した。「香港人権法案」が立脚する基盤がこれで崩れたわけだから、米国も法案を取り下げるのが筋ではないか、という理屈だが、どうやら米国はそう思っていないようだ。言ってみれば、このたびの動乱を目の当たりにした国際社会はすでに香港に対する信頼を失った。今後もいつそういう恐ろしいことになるか分からないので、何かしらの担保がないとみんなが安心できない。だから、「香港人権法案」はやはり必要だ、という文脈になる。
法案のベースとなっているのは、「米国・香港政策法」(United States–Hong Kong Policy Act、合衆国法典第22編第66条 22 U.S.C.§66)である。「香港政策法」は香港の扱い方を規定する法律として、1992年に米国議会を通過し、1997年7月1日、香港が中国に返還されると同時に効力が発生した。
この「香港政策法」をベースとし昨今の情況を盛り込んで作り上げた「香港人権法案」は米国議会の超党派議員が共同提出した法案で、ナンシー・ペロシ下院議長(民主党)の支持も得られ、いわゆる共和・民主の与野党合意事項として注目されている。
結論からいうと、たとえ、トランプ大統領が来年(2020年)の選挙で落ち、民主党の誰かが新大統領になり、政権交代になったとしても、「香港人権法」だけはしっかり継承し、いわゆる対中強硬路線を踏襲せざるを得ないわけだ。トランプ氏の落選を切望している中国に冷水をかけ、諦めさせる必殺の法案なのである。では、「香港人権法案」とはどういうものだろうか。紙幅の関係で要点だけ抜粋して紹介したいと思う。
● 「香港人権法案」とはどんな法律か?
まず、香港返還後の高度な自治を保障する「中英連合声明」の担保。声明は国際条約同等とされる地位を有している以上、中国だけでなく、国際社会が香港の自治を認めなければならない。なぜならば、香港は世界屈指の国際都市であり、いろんな国が香港に事業を展開し資産を保有しており、米国民だけでも8万人以上居住しているわけだから、全員の利益が絡んでいるからである。
次に、香港の特別待遇の問題。社会制度の異なる中国本土と違って香港は西側自由社会の一員として、植民地時代から法の支配や自由経済といった分野でいずれも国際基準に達していたことから、「香港政策法」の下で米国は香港に通商や投資、出入国、海運等の諸方面において特別待遇を提供するという約束がなされた。
しかし「香港政策法」には不備があった。つまり、香港が特別待遇を受ける際に、十分な自治が与えられているかどうかを判断する基準が明確ではなかった。中国は香港をコントロールしながらも、米国が香港に付与した特別待遇を濫用・悪用していないか、これを監督し、牽制する機能が必要だった。「香港人権法案」は「香港政策法」の強化版としてこの機能が盛り込まれた。
さらに、上記の監督・監査権に加え、罰則も用意された。香港の自治権の毀損が認められた場合、米国は香港に与えてきた特別待遇を打ち切ることができるようになる。香港の人権や民主・自治を侵害した者に対して、米国における資産を凍結したり、米国入国を拒否したり制裁することも可能になる。この制裁措置の意義が非常に大きい。たとえば、今回のような市民抗議活動に対して当局が武力を動員して鎮圧したりすると、その関係する当局者らが制裁対象とされる可能性が出てくる。
「香港人権法案」の下で、米国国務長官は香港が「中英連合声明」や「基本法」、「国際人権規約」等に基づき、人権や自由ないし自治をきちんと保障しているかどうか、人権侵害で制裁対象となる人物がいるかどうかを検証し、毎年レポートにまとめて米国議会に提出しなければならない。
分かりやすくいえば、香港は上場企業のようなもので、経営の透明性が必要であり、それを検証する監査役を米国が引き受け、毎年監査報告書を作成し、開示し、そこで国際社会の信頼を得るということである。
中国がこの法案に激しく反発している理由としては、これで香港独立の機運が高まるのではないかという懸念が挙げられている。米国は、いやそれは違うと反論するだろう。民主と人権はいずれも一国二制度、基本法によって保障されている権利なのだから、これらについて国際社会の監督を受け、問題なく太鼓判を押されれば、逆に香港の信頼度の向上につながるのではないかという論理である。
● 中国に選択肢は残されていない
詰まるところ、香港は国際都市であり、オープン、透明でなければ、国際社会は困る。もし、中国がどうしても独自のルールで香港をコントロールし、「私物化」するのであれば、やがて香港が中国の一地方都市と何ら変わりのない存在になる。そうした状況になって、中国が一方的に香港は自由だと主張しても、誰も信用しない。ましてや米国が特別待遇を与え続けるなど、そんな虫のいい話はありはしない。
9月3日付けのワシントン・ポストは、マルコ・ルビオ上院議員(共和党)の「中国は香港で本性露呈、米国は傍観できぬ(China is showing its true nature in Hong Kong. The U.S. must not watch from the sidelines)」と題した寄稿を掲載した。その一節を抜粋訳出する――。
「香港の特殊な地位に注目してほしい。それはつまり、独立関税区域として開放的な国際金融システムや、米ドルペッグ制(連動制)の香港ドルがあって、北京はこれらの仕組みを利用して利益を得ていることだ。だから、米国は行政的に外交的にこれらの条件を制限しなければならない。さらに、マグニツキー法を生かす方法もある。人権侵害にかかわる当局者の個人を制裁することだ。マグニツキー法は外国の個人や組織を制裁することを認めている」
マグニツキー法という枠組みがあるなか、香港にフォーカスした「香港人権法案」で条件を具体化し、監督・監査機能と罰則を強化するという緻密なアプローチだ。
もっと驚いたことに、ナンシー・ペロシ下院議長(民主党)だけでなく、民主党上院議員のチャック・シューマー氏まで法案賛成に回っている。氏は9月5日、翌週に開かれる議会で「香港人権法」の審議と議決を目指すことは民主党議員にとって最優先任務の1つであるとし、「香港市民が言論の自由をはじめ、その他基本的権利を行使するにあたって、われわれは中国共産党の取った行動に対して姿勢を示さないといけない。これは大変重要なことだ。われわれは習主席に、『米国議会は香港市民側に立っている』という姿勢を示す必要がある」と述べた(9月4日付けボイス・オブ・アメリカ)。
ペロシ下院議長とシューマー上院議員といえば、誰もが知っている通り、トランプ大統領の2大天敵である。この2大天敵が対中姿勢、殊に香港問題においてはトランプ大統領側に立っているだけでなく、ある意味でトランプ氏よりも強硬姿勢を示している。
中国にとってもはや選択肢は残されていない。「香港人権法」が可決された場合、中国は苦境に陥るだろう。