トランプ米大統領と習近平中国国家主席の首脳会談が6月に延期される。3月16日付けの英字紙「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」が、消息筋の情報を引用し報じた。会談は当初予定の2月末から3月に、さらに3月から4月に幾度も延期したものの、4月も合意が困難となったようだ。
● 「マール・ア・ラーゴ」の悪夢
習近平氏は3月下旬からイタリア、フランスを歴訪する。その前後に米国に立ち寄り、フロリダ州のトランプ氏の別荘「マール・ア・ラーゴ」を再訪し、米中貿易戦争を終結させるための首脳会談を行う予定だった。
マール・ア・ラーゴは、トランプ氏お気に入りの私邸で、ここに招いた外国首脳は、安倍晋三首相と習近平主席だけだった。同盟国である日本の首相と同格に接遇される習近平氏には大変面目の立つ招請だったにもかかわらず、決して良い思い出を残してくれた愉快な場所ではなかったようだ。
米東部時間2017年4月6日夜、トランプ氏は習近平氏をマール・ア・ラーゴで行われる夕食会に招いた。メイン料理は、シタビラメのシャンパンソース仕立てとプライム熟成NYストリップステーキ。いよいよメインの食事を終え、習氏が美味しそうにデザートのチョコレートケーキを食べ始めたタイミングを見計らって、トランプ氏は切り出す――。
「主席にお伝えしたいことがあります。実は、たった今米軍がシリアにミサイルを撃ち込んだのです」
化学兵器を使った連中にはそれ以外に方法はない。子供まで虐殺されたわけだから、攻撃に異を唱える理由はない。少なくともその場で即座に反論する道筋を立てる余裕は習氏になかった。絶妙なタイミングであった。
2年前の「マール・ア・ラーゴ」での夕食会では、トランプ氏が勝利を収めた。その要因は多方面にわたるが、米側の交渉アプローチが入念に練られたことだけは間違いないだろう。
前述の通り、トランプ氏は2017年2月に安倍首相を「マール・ア・ラーゴ」に招待した。習近平氏を同じ場所に招待したことで、習氏のメンツが大きく立てられた。日中間のトラウマと中国人のメンツ観が大きく利用された。中国側は絶対に首脳会談を失敗させたくない一方、メンツも保たなければならないと、緊張して米国に向かった。
● トランプ流の「宴会術」とは?
まず安倍首相同等の接遇とおもてなしが提供されたことで、中国側は先制点を取り、第1ラウンドの成功を収めた。
サッカーの試合では、解説者がよく「先制点が大切です」とコメントする。プレミアリーグ2015/16年までの過去7シーズンのデータによると、先制点を上げたチームが試合に勝つ確率は69%、引き分けになる確率は19%、逆転勝ちの確率はわずか12%だったという。
サッカーはバスケットボールのような大量得点型試合ではない。得点が入りにくいため、1つの得点、特に先制点が非常に重要だ。上記のデータにも示唆されているように、先制点を取ったチームの勝つ確率が高いことが通説になっている。故に、先制点を奪ったところで守りに入る傾向が一部の試合に見られる。
国際政治の場も幾分サッカーの試合に似ている。先制点を取った習近平氏が「守り」の態勢に入ったところで、トランプ氏は不意討ちの一撃を加える。宴会が進み、前菜とメイン料理の段階ではまずい話を切り出せない。とにかく席を盛り上げるのみ。アジア人は盛り上がった宴席をぶち壊す性分ではない。それもまたトランプ氏にまんまと利用された。
一瞬の出来事。シリア攻撃の知らせに、「イエス」か「ノー」かの反応をする時間はわずか数秒しかない。習氏に残された選択肢は事実上、「イエス」しかない。これまでの努力と成功を水の泡にするわけにはいかない。サンクコスト(埋没費用)の処理、これもまたアジア人の弱点である。
国家としてある突発事件に対して立場の声明を出すには、内部の熟議が欠かせない。数秒の時間とは過酷だ。トランプ氏の謀略と手法は恐ろしいものだった。
先制点を取らせて、いざ後半になると、不意討ちを仕掛ける。今年2月ベトナムのハノイで行われた米朝首脳会談においても、トランプ氏は同じ手法を使った(参照:米朝決裂をどう見るべきか?不敗の交渉と深遠な謀略)。会談に先立って、トランプ氏は「核実験がない限り満足」という姿勢を示し、先制点を金正恩氏に取らせておきながらも、本場の交渉では「未申告の他の核施設があること」を材料に持ち出し、「完全な非核化」を要求した。
ただ、ハノイ会談と「マール・ア・ラーゴ」夕食会とは明らかな異質性がある。核問題はシリアにミサイルを撃ったという「他人事」ではなく、金正恩政権の存続にかかわる核心的事項であった。故に宴会のデザートタイムに切り出すのではなく、ランチそのものをキャンセルしたのだった。
● もっとも有効な交渉とは?
中国には「鴻門宴」(鴻門の会)という古典がある。項羽が劉邦を殺そうとし、客を招待して計略を巡らせ、政治的取引を図る招宴のことで知られている。習近平氏も「マール・ア・ラーゴ」の一件で「鴻門宴」たるトラウマを引きずりながら、ハノイでの米朝首脳会談を目の当たりにして、完全に尻込みしたのではないか。
一方、トランプ氏は米朝首脳会談で示した「ダメなら、交渉から立ち去る」姿勢を示しながら、習近平氏との会談にあたって、「中途半端なオファーで協議の席に着くな」と圧力を加えた。これは謀略というよりも、氏の一貫した姿勢だった。
トランプ氏は昨年9月29日夜、ウェストバージニア州で行われた集会でこう語った。「中国は市場開放と公平貿易をやる。さもなければ、彼たちと商売をやらない。それだけ単純な選択肢だ」
いかにもトランプ流だった。もっとも有効な交渉は、交渉しないことである。彼の手腕はまさに交渉の極意を示唆するものだった。つまり、最良の交渉は特定の条件をめぐって話し合うのではなく、相手にシンプルな選択肢を突き付けることだ。この種の交渉は入念な事前作業を必要とする。相手の情報を集め、事態展開のシナリオを描くという一連の作業である。
トランプ氏には中国の現状と情勢分析が欠かせない。
● ぐらつく中国に対する「3つの選択肢」
中国経済が低迷し、中国を取り巻く環境は着々と悪化している。中国国家統計局が発表した2月の製造業購買担当者指数(PMI)は49.2と、前月から低下し、活動拡大・縮小の境目となる50割れが続いている。
中国当局にとってPMI類のベンチマークよりも、社会不安に直接影響する雇用がはるかに重要だ。
不況が工場や建設工事現場を襲うだけでなく、オフィスワーカーにも影響を与え始めた。良質な教育を受けたホワイトカラーもリストラや減給の荒波にさらされている。eコマース名門の「京東」やライドシェア大手の「滴滴出行」も苦境に陥っている(3月15日付け「ニューヨーク・タイムズ」記事)。
この記事は、ホワイトカラーの就職難があることを示唆している。中国経済の低迷は政府公式発表のデータよりはるかに深刻ということだ。中産階級の旺盛な消費が経済成長を牽引し、製造業依存の成長モデルからの脱却を可能にする。しかし、消費者は財布のひもを締め、従来のように消費しなくなった。不滅なる人気を誇る不動産市場から繁栄を極めたハイテク産業まで、消費に対する情熱が失われ、経済の隅々まで影響が及んでいる。
中国最大手検索エンジンの「百度」では、「求職」というキーワードの検索回数が昨年12月に過去最多を記録した。さらに、グローバル・ソース・パートナーズの調査によると、ハイテク産業や不動産デベロッパー、その他大手民営企業の人事部責任者への取材で、ここ数カ月におけるリストラ率が30%に達したことが明らかになった。
人材紹介ネット大手「智聯招聘」では、昨年第4四半期の全業種の求人数が前年同期比で10%減少し、特にハイテク産業やネット系ベンチャー企業の2018年第3四半期の求人は同期比で51%も激減したという。アリババは採用計画を凍結し、「人材に対する継続的な投資」の重要性を認めながらも、「特に経済情勢が深刻である状況下」と付け加えて声明を発表した。
中国は厳しい経済情勢に直面し、大規模なリストラや採用削減・凍結の嵐がもうそこまで来ている。要するに、米国は何も関税を25%に引き上げる必要はない。これを現状の10%に据え置いても、中国はこれから大変なことになる。それを踏まえて、トランプ氏には今、3つの選択肢がある――。
選択肢(1):中国と合意し、関税の引き上げをすべて撤廃する。ただし、合意の執行や、違反する際の制裁発動など面倒な問題は、先送りされることになる。
選択肢(2):中国と決裂し、関税を25%に引き上げる。そうした場合、米中関係が完全に崩壊し、本格的な冷戦状態に突入し、世界経済の大きな波乱要因にもなる。
選択肢(3):現状の10%関税を温存し、時間を味方につけ、中国がじわじわと弱っていくのをひたすら待つ。
総合的に損得を吟味し、トランプ氏は今、(3)の選択肢に傾いているようにも見える。理由は選択肢(1)と(2)はともに、ハードランディングにつながりかねないからだ。
米中貿易交渉について、中国商務省の王受文商務次官は昨年9月25日に開いた記者会見で、米国が「中国の首にナイフを突き付けている」ため、交渉を進めることが困難だと主張し、難色を示した。それが本音だったならば、たとえ合意されても、一時凌ぎの策にすぎず、良い結果にはならない。
時間が問題を解決してくれる。トランプ氏はそう考えているのではないか。