歴史と経験、賢者と愚者

 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という一句がある。

 あたかも「歴史」と「経験」が二項対立であるかのよう見えても、実は違う。歴史は常に無数の人間による無数の経験から積み上げられ、その膨大な蓄積である。その無数の経験の集大成と凝縮を無視し、たった自分1人あるいはせいぜい周辺のごくごく限られた範囲の経験にしか学ばないというのは実にもったいないことだ。無論、失敗の確率もあがるだろう。

 経験の最大単位である歴史に学ぶほうがもっとも効率がいい。そういうことである。さらに言ってしまえば、「経験よりも歴史に学ぶほうが良い」という結論に達するところは、間違いなく個人の経験による。あるいは、歴史との偶然の出会いに触発されたものであろう。

 もう少し踏み込むと、無数の歴史から抽出されるのは哲学である。経験や歴史が客観的存在であるのに対して、哲学はいよいよ主観的世界に入る。

 たとえばローマ帝国史から抽出された政治哲学は今日の世界にも適用している。ただ昨今の民主主義制度下の政治家はなかなか腰を据えてこれらの歴史や哲学を勉強する余裕がない。彼らは、当選の経験にばかり興味を示し、来る日も来る日も次の選挙を考えずにいられない。

 もったいない。