一杯のワイン、そのための時間なら常にあるだろう

 「There is always time for a glass of wine」

 私はこの手のキャッチコピーにめっぽう弱い。一杯のワイン、そのための時間なら常にあるだろう。ワインの味やらブランドやら、理性的な商品宣伝はまったくない。完全に情緒的な訴えである。

 しかし、あらゆる情緒的な訴えは論理的な文脈をたどる。つまりは「なぜ、ワインを飲むのか」という原点を追求し続けることだ。

 マーケティングや営業の研修でよくキャッチコピーを作らせる場面がある。それをうまく作れる人の得点が高い。とても難しいことが2つある。

 まず、高度の集約性は、本質を見抜く洞察力を基盤とする。商品やサービスのいろんな特性の裏に潜む本質的な部分をうまくつまみだせるかだ。次に相手(顧客)の思考や目線に置き換えて適切に表現できるかだ。

 「A glass」という言葉だが、考えると、日本人も「軽く一杯」というセリフをよく使う。導入の敷居を低くするための、いわば誘い文句。結果的に一杯から何杯になるかは成り行き次第・・・。

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