偏向報道やフェイクニュースの裏、ワイドショーの本質とは?

 某メディアの編集幹部が私にこう打ち明けた。

「多くの読者や視聴者は国内外の情勢に関心があるわけではなく、ワイドショー化した報道に感情を煽られるかたちで反応しているだけ。反応があるからメディアもそこばかり取り上げる。ますます偏っていくというスパイラルだ」
 
 私の一貫した持論である「需要があっての供給」を裏付けるような現場の声である。偏向報道、偏向報道と、メディアを批判している人が多いが、私の質問は「なぜ、偏向報道をするメディアが食べていけるのか」だ。

 メディアといっても、販売部数や視聴率、広告料で糧を得ている商売にすぎない。偏向報道に大多数の顧客である読者や視聴者が見向きもしなければ、メディアは自ずと糧を失い、偏向を止めざるを得なくなる。偏向報道への需要があるから、偏向報道をするわけだ。

「ふざけるな、メディアは公正、中立的でなきゃいけないんだろう。これがメディアのあるべき姿だ」。こういう反論を見ていると、やはり日本人はナイーブだなあと思う。理想主義的な日本人の幼児性は世界に笑われている。

 世の中に公正たるものがいまだかつて存在したことがあるのだろうか?理想の疑似現実化というか、典型的な幼児性にほかならない。メディアの株主だって金儲けしたい。メディアの従業員だって家族を養っていかなくてはならない。なるべく収入を増やしたい。そういう現実に向かって「べき論」を持ち出すこと自体も一種の偏向だ。人類の欲求本能を否定する偏向だ。

 ワイドショー化した報道にはなぜ読者や視聴者が興味をもつかというと、何といっても、分かりやすい。世の中が単純化されたネタが一番売れる。スキャンダルの成分が入ればさらにウケがいい。金や女の問題なら、誰もが分かるからだ。

「馬鹿向けの商売がいちばん売れる」。絶対に表に出せない話だが、有能なマーケティングの専門家なら誰もが知っている暗黙知だ。偏向報道に興味を示す大衆が存在する限り、メディアは煽るだろう。今日までそうだったように、明日からもそうであろう。

 トランプ大統領は、メディアのことを「フェイクニュース」と痛烈に批判している。裏返せば、「フェイスニュース」の顧客(国民大衆)を卑下していることにもなる。ただそれが問題発言になるから、ストレートには言えない。それだけの話だ。

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