【Wedge】働き方改革(5)~日本人に襲いかかる「経済的不安」の正体とは?

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 日本人が望んでいるのは、「均貧」(均しく貧しい状態)でも「格差」でもなく、「均中」(全員中流)なのだ(参照:鳩山元首相が憧れたブルネイの正体)。その「均中」状態の維持は、資源の存在や持続的成長を前提としているだけに、今の日本は残念ながらこれらの条件をほとんど持ち合わせていない。では、ブルネイはどうだろうか。

● ナウル共和国はなぜ崩壊したのか?

 ブルネイが今日にも「均中」状態が維持できているのは、ひとえに湧き出る石油と天然ガスのお陰にほかならない。その資源が枯渇した日、あるいは代用エネルギーがほかに見つかった日、ブルネイはどうなるのか。

 ブルネイはある意味で、ラスベガスよりも産業構造・基盤が脆弱である。賭博産業はギャンブル客が消えない限りいつまでもやっていけるが、石油や天然ガス資源はいずれ枯渇する。

 ナウル共和国は好例だ。国家規模や経済総量、社会構造がブルネイと異なるものの、類似した参考事例として見てほしい。南西太平洋に浮かぶナウルは、リン鉱石の採掘によって富を成した島国だった。世界で最も高い生活水準を享受し、税金なし、医療・教育無料、年金保障をはじめとする手厚い社会福祉を国民に提供していた。これは今のブルネイに大変似ていた。

 しかし、20世紀末にナウルの鉱石資源が枯渇した。基本的なインフラ維持も困難になるほど同国の経済は崩壊し、近隣国のオーストラリアやニュージーランド、そして日本に援助を求めるほか活路はなかった。

 そこから注目に値する展開になった。中華民国(台湾)と国交を持っていたナウルは2002年7月にその国交を断絶し、中華人民共和国と国交樹立。そこで中国から1億3000万ドルの援助を引き出した。しかし僅か3年後の2005年5月に中国と国交を断絶し、台湾と復交した。翌年、台湾の援助を手に入れた。

 ナウルは中台の政治・外交駆け引きのカードに自ら成り下がった。国家崩壊に陥ったナウルの教訓に学べるものは多い。資源が枯渇する以前、ナウルでは国民のほぼ全員が労働の義務から解放され、リン鉱石の採掘も外国人労働者に任せきり、国民全員が資本家となった。リスクを取って事業を興す意味が見出せず、ガツガツ働くことも美徳とされなくなった。そうなれば、人間は勤労意欲を失う。

 ナウルはあまりにも極端なケースで、そのままブルネイと比較するには必ずしも妥当とは言えないが、共通している部分は、国民の勤労意欲の低下・喪失である。国民は勤労生活をもって自らの手によって富を創出し、それを政府の財政に貢献する一方、政府が相応分の恩恵や保護を国民に与える。国民国家の本来あるべき姿がいつの間にか消え去り、気がつけば国民が国家の被扶養者になってしまった。そうなれば、国民は食わせてもらっている以上、政府に強くものを言えなくなり、政府の家父長制化とともに支配者や特権階級への強権や富の集中が進む。

● 収入が途絶えたときの退路とは?

 ブルネイは資源枯渇の危機を意識していないわけではない。現に国家を支えてきた石油と天然ガス資源に対する依存からの脱却を図ろうと、産業の多様化に取り組んできた。太陽光発電やメタノール、アンモニア、さらにはハラール食品の製造流通ハブ化など様々な努力もなされてきた。だが、明らかな成果はまだ見られていない。原因は多様だが、国民のやる気のなさがその主因の1つではないだろうか。

 ブルネイと近隣諸国の関係は実に微妙なものだ。筆頭に言及すべきは、マレーシア。ブルネイの国土はマレーシアのサラワク州に囲まれる飛び地で、どこよりもマレーシアとのつながりが強いはずだ。私もこれを信じ、ブルネイの視察旅行にはマレーシアリンギットしか持っていかなかった。しかし、ブルネイを代表するいわゆる7ツ星のエンパイヤホテルでもブルネイドルへの両替を拒否された。市中心部の指定銀行店頭や両替店でしか両替できないという。

 驚いた。ブルネイから1000km以上も離れたシンガポールの通貨シンガポールドルが、ブルネイドルと等価に固定されており、ブルネイ国内でそのまま流通・使用されているのに、すぐ隣のマレーシアの通貨は両替さえ制限を受けている。

 距離のことを言ったら、もっと面白いことがある。ブルネイ本土からわずか50km足らずの沖合に浮かぶマレーシア連邦領のラブアン島(Labuan)。このラブアンは、1990年にマレーシア連邦政府がオフショア会社法を制定したことで、オフショア金融センターに指定され、国家規模の一大金融事業として発足した。現在はマレーシアのオフショア金融センターないし租税回避地として、東南アジアや中東の注目を集めている。言ってみればマレーシアのケイマン諸島のような存在である。

 将来的に資源の枯渇したブルネイが転身してオフショア金融を目指すとなれば、先発優位性をもつラブアンが強力なライバルとなるだろう。マレーシア政府の意図的な戦略か、偶然か定かではないが、結果的に先制効果を狙うものとなった。ブルネイにとっては、退路がひとつ減った。いや、マレーシアがブルネイのためにひとつの退路を作ったという見方もできる。

 第二次世界大戦終結後、ボルネオは日本軍の手から離れイギリスによる直接統治領になったが、1957年に先立って独立したマラヤ連邦の呼びかけに応じ、63年にシンガポール、サラワク、サバの英国領植民地が統合してマレーシア連邦が発足する。その当時、ブルネイだけが連邦に参加せず、英国植民地のまま残った。その主因はブルネイ沖の海底油田の利権であり、これをめぐって利害関係者たちにどのような思惑や打算があったのだろうか。

 前述の通貨協定をはじめ、今日のブルネイとシンガポールの関係は緊密である。ブルネイ国王がシンガポールにホテルを所有し、シンガポールで高度な医療を受けるブルネイ国民の定宿として機能している、という話を聞いたことがある。国王一族がシンガポールという国際金融センターを活用して資産を運用することも十分に考えられるだろう。

 その時間軸の延長線上で考えると、ブルネイの資源が枯渇した場合、シンガポールやマレーシアが何らかの形でブルネイを飲み込むことも不可能ではない。そう考えると、国王や政府から与えられた富で安定した生活を送っているブルネイ国民の運命は、すでに他者に握られていると言っても過言ではない。

● 怠惰なブルネイ人と勤勉な日本人

 一方、日本人は勤勉で努力家で頑張っている国民である。日本は非資源国なので自力で活路を見つけないと、直ちに餓死してしまう。だから、ブルネイとは事情が違う。しかし、果たして本当にそうだろうか?

 戦後の日本人は勤勉さで早くも復興を果たし、その後も経済成長の道を順調に歩んだ。多くの国民は頑張りさえすれば、明るい将来が待っていると信じていたし、それは事実でもあった。国民全員にほぼ平等に未来へ通じる軌道が敷かれていた。言ってみれば、ブルネイはエネルギー収入という「現金」を平等に国民に分配しているのに対し、日本は、未来に通じる軌道という「約束手形」を平等に国民に与えていたのだ。

 財貨の分配形態は異なるものの、平等分配という原則は変わらない。唯一の違いは、支給条件である。ブルネイは無条件支給、国民であれば誰もが基本的に「現金」の平等分配を受けることができる。勤勉だろうと怠惰だろうと関係ない。これに対して、日本は勤勉要件を課している。勤勉でさえあれば、将来という「約束手形」が保障されている。基本的に個人の能力とは関係ない。

 これは日本社会特有の感情的な人間平等主義と「能力差の認知回避」願望にぴったり一致するので、都合が良かった(参照:「同一労働同一賃金」が格差を生むワケ)。さらに戦後復興や朝鮮特需といった外部要因が加わったことで、日本の経済成長は加速した。そして経済成長が続く限り、国民に平等に与えられた「約束手形」の現金化・現物化も保障されている。そこで「安全」や「安心」が善とされ、日本人の普遍的価値観が形成された。

 しかし、時代は変わり、状況も変わった。「約束手形」制度を作り出した当時、当てにしていた将来の分配に供される資源はどんどん目減りしている。同時に分配を受けようとする人がどんどん増えてきた。予定通りの現金化が難しくなってくると、「約束手形」の不渡りリスクが高まる。それがいまの日本人に襲いかかった「不安」の正体なのである。

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