【Wedge】働き方改革(7)~競争社会がやってくる、「弱肉強食」の正体とは?

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 日本の「終身雇用」は崩壊しつつある(参照:崩壊に向かう日本の「終身雇用」)。終身雇用制度が崩壊すれば、競争社会がやってくる。競争が激化すれば、弱肉強食が始まる。これは一般的に描かれた競争社会の構図だが、日本社会は果たしてそうなるのか? まずは一般論として「弱肉強食」の本質を掘り下げてみたい。

● 「弱者の仕分け」が必要

 弱肉強食という現象には善悪の判断を差し挟む余地がなく、存在するある種の事実である。どうしても悪というのなら、悪しき事実の存在としてこれを認識しなければならない。台風や地震と同じようにだ。

 私たちを取り巻く環境は全般的に厳しい。いや、過酷だ。競争の激化は、資源全体の成長(拡大)停止ないし減少、そして人間の欲望に起因する。人間の欲望も事実の存在であり否定のしようがないし、善悪の判断を差し挟む余地もない。このような客観的な外部環境を非難しても、改善する手立てがない以上、非建設的で無価値である。

 競争の世界では、争奪対象となる資源の総量が限られている以上、必ず勝ち組と負け組から成るいわゆる「弱肉強食」現象が生じる。そこで弱者が同情され、強者が非難される構図はいかにも日本的な風景である。

 弱者に同情を寄せる。日本社会の普遍的倫理観である。生活保護制度は弱者救済の制度だとすれば、受給者が弱者となる。その例を見てみよう。

 パチンコで遊んでいる生活保護受給者が多いことから、2015年10月の計5日間、大分県別府市役所の職員35人が連日出動し、パチンコ13店と市営競輪場を巡回して合計25人の生活保護受給者を見付け、市役所に呼び出して注意したという。

 生活保護への財政投入はさておき、35人の公務員が数日パチンコ店を巡回するという人件費だけでも100万円を超えていた。100万円以上の税金をかけて何をしたかというと、パチンコで遊ぶ生活保護受給者を探し出して注意をしただけ。これが税金の使い方であり、弱者救済の取引コストでもある。

 パチンコ遊戯はまだしも、犯罪となると話が違ってくる。向精神薬の密売で逮捕された者には、元生活保護受給者や母子家庭も含まれていた。そうしたニュースもある。生活保護受給者の医療費は全額公費負担である。生活保護受給者は複数の病院を回り、担当医に処方増量を依頼し、自分が飲む量の倍以上の向精神薬をタダで入手しそれをネットで転売する。それで服やバッグの購入費、飼いネコの餌代といった小遣いを稼いでいたという。

 明らかに「弱者=善」という捉え方は間違っている。弱者は単なる弱者である。中には、本物の弱者と偽物の弱者、勤勉な弱者と怠惰な弱者、善の弱者と悪の弱者、被害者の弱者と加害者の弱者が混在している。弱者救済といっても、それほど簡単ではない。弱者の仕分け作業それ自体に大きな取引コストが伴う。救済コストも取引コストも社会全体が負担しなければならない。

● 「弱肉弱食」の世界とは?

 弱者と同じように、いわゆる強者にもいろんな強者が存在する。ただし、その分類や仕分け作業は弱者のそれとやや異なる。弱者の場合、救済の判断に資する基準が必要であり、最低でも真偽の分別が欠かせない。強者は救済不要で、むしろ放っておけばよいかというと、そうではない。

 そこで必ず出てくる話は、「弱肉強食」。強者が弱者を踏み台にしてさらに強化され、弱者の権利を侵害したりその利益を横取りした場合、これを是正する必要がある。故に、強者の場合、「強弱の相互関係」から考察しなければならない。

 まずは法律の制裁面。法律に違反した場合はどうなるのか。こればかりは強者も弱者も差がなく、平等に法の制裁を受けることになる。弱者とされる生活保護受給者が生活保護を不正に受給したり、無料医療を受けてそこで受け取った向精神薬を転売して収入を得たり、違法行為に及んだ場合は法的制裁を受ける。一方、強者である資産家が最低賃金以下の給料で労働者を働かせて搾取したり、所得をごまかして脱税したりすると、これも法的制裁を受ける。

 次に法律の規制面。何を以て規制するか、どこまで規制するか、規制による副作用にどう対処するかなどの問題だ。ここでは強弱差別対処の濃淡差が現れる。強者に対する規制をより厳しくし、弱者救済や援助をより手厚くする。

 冒頭に思いつくものは、税金。強者にもっと高額な税金を課す。しかし、グローバル時代だけに、高所得者は事業分布や所得の調整をしたり、低税金の国・地域を活用したりすることによって、節税策を講じることも可能だろう。当局と納税者のいたちごっこだ。最終的に高所得者や企業は根こそぎ海外に移転する手もある。そうなったら、国内に税金が落ちなくなるだけでなく、雇用まで失われる。結局のところ、弱者がより不利な立場に追い込まれる。

 賃金規制も難しい。法律で最低賃金を引き上げると、企業は賃金の安い国・地域に事業をもっていく。すると、同じように国内税収と雇用を失う。

 さらに問題がある。たとえば最低時給を1000円から1200円に引き上げたとする。企業はいままで3人を雇って人件費総額3000円でやっていた仕事を、新賃金に引き上げて総額2400円で2人にやらせる。どうしても仕事が終わらなかったら、残業代600円を出して2人に残業をさせる。ブラック企業が生まれるわけだ。

 賃金の引き上げによって、3人だった労働者から1人がリストラされ、失業者を社会に送り出す。どの人がリストラされるかというと、その3人の中で一番弱い人(低生産性)がリストラされるのである。気が付くと、「弱肉強食」ではなく、「弱肉弱食」になっていたのではないか。弱者同士の戦いで、一番底辺にいる最弱者が次弱者によって淘汰される。生き残った2人は次弱者であっても、淘汰された最弱者に比べると、相対的強者になる。

● 「強肉強食」の時代がやってくる!

 では、残った2人の相対的強者は安泰かというと、決してそうではない。さらに賃金コストが上がったとする。2人分の給料が3000円から4000円に上がる。そこで企業は1人に3000円を払ってその仕事はできないかと模索し始める。製造現場では産業ロボットが2人のワーカーを製造ラインから追い出したり、ホワイトカラーの場合は、AI(人工知能)が最後の1人の仕事まで取り上げたりもする。

 弁護士や司法書士など強者とされる「士業」にも失業の時代がやってくる。法律や判例のデータベース検索や定型法務書類の作成は、AIによって取って代わられる。弁護士業や法務市場でも生き残りを賭けた熾烈な競争が繰り広げられようとしている。もはや「弱肉強食」ではなく、「強肉強食」の世界である。

 そもそも「弱肉強食」という概念は決して、単純な「強」「弱」の二項対立ではない。自然界の「弱肉強食」は食物連鎖という大きなサイクルになっている。最強が次強を食べ、次強が強を食べ、強が次弱を食べ、そして次弱が最弱を食べる、という連鎖である。資本家と労働者という強弱の二項対立は、マルクスが生きていた時代の現象だった。現下の世界ではより複雑化、相対化しているのである。

 故に、繰り返しているように、「弱肉強食」というのは、善悪ではなく、ある種の自然の摂理である。

● 誰が強者? 誰が弱者?

「弱者」の話、「強者」の話、そして「強弱関係」の話を縷々と説いてきたが、最後に、強者になる必要があるか、どうやって強者になるかに触れてみたい。

 まず強者になる必要はあるか。それは人によって異なる答えがあっていい。自分の描きたい絵を一生描き続け、ついに貧困のどん底から一度も這い上がることがなかった画家。言いたいことが言えず忍耐に忍耐を重ね、ただひたすら宮仕えのエリートサラリーマン人生に徹し、ついにトップの座に上り詰めた矢先、会社の不正事件で責任を問われ、辞任に追い込まれる大会社の社長。どっちが強者どっちが弱者、どっちが勝者どっちが敗者、どっちが幸せどっちが不幸……。私には分からない。本人に聞くしかない。

 強者や弱者、勝ち組や負け組。社会的な一般論としての評価基準もあろうが、最終的に本人が判断して結論を出すものであろう。

<次回>

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