【Wedge】働き方改革(17)~「終身雇用」に奪われたもの、日本人サラリーマンの3大悲劇

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 終身雇用制度の下で、社員は3段階から成る生涯を通じて、「働き過ぎ」と「もらい過ぎ」の相殺で最終的に収支トントンの均衡状態に達する(参照: 「働き過ぎ」の若者と「もらい過ぎ」の年長者、日本社会の「怪」を暴く)。それだけでなく、欧米企業のように明日にもクビを切られるのではないかと心配することもなく、安心して働ける。何も悪い話ではない。実際に「終身雇用制度」は日本社会の「善」として今日に至るまで、うまく機能してきたのである。

 しかし、世の中良いことばかりではない。100%の善もあり得ない。終身雇用制度の「副作用」あるいは「有害性」とは何であろうか。3つの側面を取り上げて考察したい。

● 「終身雇用保険料」の天引き

 まず、「終身雇用保険料」の話。

 終身雇用の一番良いところは、何といっても「解雇されない」という安全性と安心感である。ここのところ、「安全」や「安心」がタダではないとよく言われるようになったが、まさにその通り、「安全」も「安心」もコストがかかっている。警備システムや保険商品はその代表格であり、いずれも費用を支払わなくてはいけない。

 終身雇用制度から提供されている雇用の安定にも、実は「終身雇用保険料」たるものを社員が払っているのである。社会保険で加入している雇用保険は、どこの国にもあるもので、法令により義務付けられている強制保険である。これに対して、「終身雇用保険」は世界でいえば任意保険になるが、日本企業においては、法定の雇用保険に次ぐ「第二の強制保険」に相当する。

 海外の日系企業の外国人社員でよく、「日本企業の給料は欧米系より安い」と文句を言う人がいる。「じゃあ、欧米系に行けばいいじゃないか。何で日系に入って働いているのですか」と質問を投げると、決まって「日系は安定しているし、社員のクビを切らないからです」という答えが返ってくる。「そうでしょう。解雇されないように、あなたが保険料を払わされているのですよ。給与明細には書いていませんが、給料からその保険料が天引きされているから、給料が目減りして安くなっています」と私が答えると、相手は大体驚く表情を見せる。

 私が香港駐在時代に驚いたことは、サラリーマンでも自分で年度末納税することだった。普段の月給は、何も天引きされずにもらえるのは嬉しいが、年度末は地獄になる。税務署から送られてくる「緑色の封筒」(納税通知書類一式)を開けるのが恐怖だった。まとまった大きな金額の税金を一括で払わなければならないからである。普段もらっていた給料を使い切って貯金のない人には、銀行がなんと親切に「タックス・ローン」まで組んでくれる。借金して税金を払うわけだ。

 日本は天引きの国である。サラリーマンは直接に税金や保険料を支払わない。給与天引きになっているから、気がつかない間に、税金や保険料が差し引かれていた。納付や支払いの実感がない。ただ、納付項目はきちんと源泉徴収票に記載されているから、「明瞭会計」と言える。唯一その明瞭会計から抜けているのは、「終身雇用保険料」という「無形天引き」である。

 故に、終身雇用制度が崩壊する暁には、その保険の「無形天引き」がなくなり、額面給料が増えるはずである。シビアに言うと、今まで払ってきた保険料も精算して会社から一部だけでも払い戻しを求めたいくらいだ。

● 終身雇用のトレードオフ

 2番目は、転勤や異動の話。

 終身雇用制度下の日本企業は正社員をなかなか解雇できない。解雇できないから、不況や業績低迷の際に、企業はにっちもさっちもいかない。確かにその側面はある。ただ考えてみると、解雇権を実質的に持たない企業がなぜうまく運営できたのだろうか。

 実は日本企業には伝家の宝刀がある――「人事権」。人事権という概念は、法律概念ではなく、法律で直接定義されている権利ではない。雇用者である企業は、労働契約等に基づき、労働者の配置や異動・配転、賃金調整、人事考課、昇進・昇格・降格の権利を有すると解される。その権利を「人事権」という。実は解雇権も広義的属性において、人事権の一部として解釈できるのだが、解雇行為との相互関係を比較するうえで、意図的に切り離して解説したい。したがって、拙稿における「人事権」とは、労働者の雇用期間中における地位や処遇の変動に関する雇用者である企業の一方的決定権限という限定的解釈を用いている。

 日本企業は一般的に広範な人事権を持っている。人事部から発出される辞令で社員の処遇が決まる。社員にとってもっとも影響の大きいものは、「転勤」という異動辞令である。「転勤」は「transfer」と英訳されるが、これも違和感がある。欧米系企業の場合、まず「assignment」というポジション(地位・職位)の合意あるいは任命があって、その「assignment」の下で初めて「transfer」という転勤が発生する。人事部から1通の辞令で「どこそこの勤務を命ずる」ということはまず考えられない。

 これもひとえに終身雇用制度下の産物としか思えない。会社が定年まで社員を雇用する(解雇しない)という条件と引き換えに、社員は在勤期間中の転勤や異動をほぼ無条件に受け入れる。解雇権と人事権のトレードオフと言っても差し支えない。制度の仕組みとしては一定の合理性がある。ただその運用について、様々な問題が散見される。

 まず会社にとって、特に4月のような年度定期異動に果たして意味があるのか。ローテーションは必要だが、ポジションごとに都度必要性を吟味したうえで実施すればいいのに、なぜ定期的な一斉発令と異動が必要か。会社にとっても経費の無駄使いではないか(参照:異動シーズン、転勤はサラリーマンの宿命なのか?)。

 社員にとっても影響が大きい。何よりも生活基盤が3年や5年で変わるのはやはりストレスにつながる。家族持ちの社員にはもっと負担が大きく、場合によっては苦痛なイベントになりかねない。「マイホームを購入したら、必ず転勤辞令がやってくる」「会社への忠誠心を試されているのではないか」というのはもっぱらの噂であろうが、私の親戚にもそういう人がいる。

 故に、終身雇用制度が崩壊する暁には、このトレードオフが存続できなくなるので、転勤制度も終了しなければならない。

● サバイバル力の弱化

 そして、3番目は、人材育成の話。

 日本企業は終身雇用のうえ、社内でじっくりと人材を育成する。これは一般的に、美談として扱われているが、果たしてそうなのか。

 日本企業の「人材育成」とは、「長期的視野に立って現実に企業に貢献できる人材を育成すること」(ブリタニカ国際大百科事典)とされている。

 では、「人材」とは何か。ウィキペディアを調べると、こう書いてある――。「人材」とは、才能があり、役に立つ人物。すなわち社会に貢献する(contribute to society)個人のこと。「会社」ではなく、「社会に貢献する人」なのである。つまり特定の所属会社・企業を超えて、広範に社会に貢献できる人のことである。この定義に基づけば、人材は特定の企業にとどまることなく、どの企業に所属しても(転職しても)、あるいは独立・起業しても、社会に貢献できる人のことである。言い換えれば、人材とは、いつでも特定の所属企業から離れられる人なのだ。そうした「離れる力」、いわゆる「遠心力」、あるいは競争社会における「サバイバル力」を持っているということだ。

 こうして見ると、世界で通用する「人材」の要件と日本企業で行われている「人材育成」の実態との間に、少なからずギャップが存在していることが分かる。「特定の会社・企業に貢献できる」人イコール「社会に貢献できる」人なのか、答えは自ずと見えてくる。

 会社を辞めても困らない人、どこへ行っても食べていける人、そうした「人材」を日本企業が育ててこなかった。いや、むしろこのような「人材」を排斥すらしてきた向きもある。そんな中でついに、時代が変わろうとしている。終身雇用制度はもはや存続できなくなったのである。

 本稿で述べた前2つの問題について、終身雇用制度が崩壊する暁には、「無形天引き」されてきた「終身雇用保険料」の精算も、転勤制度の終了も、比較的簡単に実現できるのだが、3番目の「社会・世界に通用する人材」の再教育だけは一朝一夕にできるものではない。そこで個人ベースの「サバイバル力」の有無多寡で、新たな格差が形成されるだろう。「会社員」から真の「社会人」への脱皮という過渡期に、日本企業がどのように社員をサポートするか、社会的責任が問われようとしている。

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