【Wedge】働き方改革(18)~リストラの罠、非終身雇用時代に向かう岐路に立つ

<前回>

 終身雇用制度はかつて日本経済の繁栄を裏付ける社会的基盤として賛美、謳歌されてきた。いざ崩壊のカウントダウンに入ってみると、その「副作用」ないし「有害性」がじわじわと表面化してきた(参照:「終身雇用」に奪われたもの、日本人サラリーマンの3大悲劇)。この難しい時代をどう乗り越えるか。その課題の数々を整理しながら、解を求めていきたいと思う。

● 「終身雇用制度」という「OS」の崩壊

 日本型の組織を支えてきたのは、終身雇用制度である。あるいは、その逆なのかもしれないが、いずれにしてもこの二者の関係は不可分であった。終身雇用制度が崩壊すれば、日本型組織は無傷ではいられない。ある意味で日本型組織の存続がかなり困難になると見るべきだろう。

 ただ日本型組織が崩壊した場合、日本企業はどのような組織に変わるのだろうか。非日本型組織とでも言うべきだろうか。日本企業はやはり日本企業であり続けるだろうから、そうした意味で、従来の日本型組織が崩壊し、新たな形の日本型組織に生まれ変わると言ったほうが妥当であろう。拙稿は表現上、従来型の「日本型組織」と区別して、将来型を「新日本型組織」と称する。

 終身雇用制度の下で、日本企業の組織は共同体として強いプレゼンスをを持っていた。ミニ版の社会と言っても過言ではない。大方の日本人は「社会人」である以前に「会社人」にならざるを得なかった。あるいは、「社会人」と「会社人」の同一化が定着したとも言える。終身雇用の終焉は、会社からの離脱よりも、社会による排斥に近い恐怖感を与えているのも、その証左である。会社の存在が肥大化すると、「会社のためなら」何をやっても正当化され(多くの不祥事に見られているように)、また個人を犠牲にすることも正当化されてきた。

 日本型組織に求められる「組織内」人材の第一義的な要件は、その企業組織への適合性である。これは決して間違っていない。従来の日本社会全体に終身雇用制度が基盤的システムとして組み込まれていたからだ。日本社会にとって、終身雇用制度は「アプリ」ではなく、「OS」なのだ。故に企業組織の最適化はある意味で社会の最適化に直結するという文脈から、日本企業による組織仕様の「人材育成」も必然的帰結となる。

 今、終身雇用という「OS」が使えなくなり、「非終身雇用」という新たな「OS」が構築されようとしている。そこで、旧OSに機能してきたアプリは、新OSにそのままインストールできないという大問題に直面している。

● 「働き方改革」と「雇い方改革」

 まず、OSの変更は容易なことではない。世の中「改革」ほど難しいことはない。改革は必ず既得権益層の抵抗に遇うからだ。終身雇用制度の問題はずいぶん前から気付かれていたにも関わらず、誰もがはっきり言い出せなかった。問題が進み深刻化すると、政府はようやく重い腰を上げる。それでも「働き方改革」と名付けて当たり障りのないところ、残業削減やら非正規格差解消やら万人受けしそうなテーマを取り上げて取り組もうとする(参照:『働き方改革の議論はなぜ進まないのか?』)。

 「働き方改革」は突き詰めたところ、「労働市場改革」であり、さらに掘り下げると「終身雇用制度の崩壊」を背景とする雇用システムの交替にほかならない。要するに「働き方改革」以前の問題であり、「雇い方改革」なのである。トップ層はトップダウン型の「雇い方改革」を持ち出せば、風当たりが強くなり、立場が悪くなるから、ボトムアップ型の「働き方改革」にすり替えてお茶を濁す。だから、「働き方改革」はいつまでも本格的に進まないのである。

 政治家は票を失うことを恐れている。経営者は従業員からの批判を恐れている。メディアの場合、世間の非難や読者・視聴者離れを恐れている。政治家も経営者もメディアも揃って労働市場改革の議論を忌避してきたのは、それが国民に不人気なテーマだったからである。これ自体も日本型組織の特徴である。正しい判断と素早い行動よりも総意の集結、コンセンサスの形成に価値が置かれていた。コンセンサスが形成されないうちに、独裁的な判断や意思決定を控え、むしろ状況の悪化を座視するよりほかない。

 情況の悪化が進むにつれ、段階的に小分けにしてリストラを実施していくのが、大方の日本企業のやり方だ。具体的な社名を挙げるのを控えるが、現状を見る限り、こうした傾向が顕著である。私からみれば、非常にまずいやり方である。理由を言おう。

● 小分けのリストラはなぜまずいか?

 まず、労働市場改革の趣旨(目的)はリストラではなく、時代に順応した制度の構造改革である。リストラはあくまでも構造改革のための一手段に過ぎない。目的と手段の取り違えは本末転倒の愚行である。

 次に、リストラを小分けにしてやると、社内の雰囲気が悪くなる。社員の誰もが次のリストラを危惧し疑心暗鬼になり、仕事に専念するどころか、士気低下につながりかねない。痛みを小分けにするのは、苦痛や恐怖を味わう期間を長くすることであり、経営や人事管理上のタブーなのである(逆に、インセンティブの場合、なるべくこれを小分けにして与えると、従業員が幸福感を味わえる期間が長くなる)。

 最後に、早期退職募集という形態のリストラをやると、サバイバル力の高い社員がまず手を挙げる傾向が見られる。私の知り合いの中にも、早期退職に応募して給料の高い外資系企業に転職したり、割増退職金を軍資金にして起業し、成功した人は何人もいる。企業はいかに馬鹿げたことをしているか。金を積んで有能な従業員を追い出しているようなものだ。

 早期退職募集は、辞めてほしい社員は辞めず、辞めてほしくない社員がどんどん辞めていくという本末転倒の現象を招いている。企業もこれに気付いている。そこで狙い撃ち型の退職募集に乗り出す。特定の社員を呼び出し、「あなたは残っても仕事がない」と退職強要まがいの「面談」で精神的に追い討ちをかける。というようなケースが続発していると、企業のイメージにも傷が付く。

● 終身雇用制度の崩壊、ソフトランディングは可能か?

 終身雇用制度の崩壊は、一瞬にして崩れ落ちるのではなく、段階的な進行により時間をかけてフェードアウトしていく。各方面に大きな衝撃を与えることなく、そうしたソフトランディングを実現したい。それは確かに理想的な形ではあるが、問題はそれが実現可能かである。

 いかなる変革もソフトランディングによる実現が望ましい。ソフトランディングのシナリオを描き出すには、まず終着駅の風景(ビジョン)を規定しなければならない。つまり「非終身雇用時代」の企業像や従業員像、そして労使間の相互関係を明確な形にすることだ。そのビジョンに合わせて、現在の立ち位置を確認したうえで、できるだけ最善のロードマップを作成する。このようなプロセスを踏むべきではないだろうか。

 行き詰まったところで、手当たり次第リストラ作業を繰り返すだけでは、リストラのためのリストラになり、士気低下や人材流出を招き、最終的に頓挫して元も子もない。最悪の場合、企業が傾いてきたら、それこそハードランディングになりかねない。

 では、「非終身雇用時代」、そして新日本型組織の再生へのロードマップはどのようなものか?

<次回>

タグ: