【Wedge】働き方改革(1)~働き方改革の議論はなぜ進まないのか?

 働き方改革、日本の労働市場での一連の改革。この議論が提起されて、ずいぶん年月が経った。重要な政治アジェンダとしての意義を否定する人は少ないものの、なかなか議論が進まない現状に直面している。

 結論からいうと、「働き方改革」は「労働市場改革」であって、さらに言えば、「労働市場の流動化」にほかならない。広い既得権益層に多大な影響が及び、政権の基盤を揺るがすリスクをも孕んでいるだけに、デリケートな問題である。政府は切迫感に駆られて取り組もうとしながらも、公に言えないジレンマを抱えている以上、結果的に枝葉末節を取り上げざるを得ない。

 問題の本質とメカニズムを解明し、多様な働き方に対応する制度を提唱すべく、このシリーズの執筆に取り掛かりたい。

● 政治家頼みでは成就できない「働き方改革」

 働き方改革というアジェンダは、何らかの原因で議論が忌避されている。そう感じているのは私だけだろうか。

 これまでの経緯を見ると分かりやすい。一橋大学経済研究所の神林龍教授はそのブログ(2017年11月17日付け)で状況をこう述べている――。

「(働き方改革は)2017年9月末招集の臨時国会での大きな論点になり、紆余曲折が待っていると目されていた話題でもあった。ところが、いざ選挙に突入してしまうと、ほとんど口の端にも上らず、世論は働き方改革の行方を忘れてしまったようにも見える」

 政治家が忌避している。メディアを含めて全体的な世論も忌避している。なぜ忌避するかというと、働き方改革は多くの国民にあまり受けのいい話ではないからだ。「長時間労働の是正」、「非正規と正社員格差の是正」、「就業率の増加」という3点だけがほぼ総論賛成で世論は一致している。しかし、この3点ははたして根源的な問題なのだろうか。

 たとえそうだとしても、機能する解決案は皆無に近い。たとえば、「非正規と正社員格差の是正」、この1つを取ってみても分かるように、解決法はいたって簡単。非正規社員の給料・待遇を引き上げればいいだけの話。それがなぜできないのか。原資の捻出に目処が立たないからだ。そもそも原資が潤沢にあれば、最初から非正規ではなく、正社員として採用しているだろう。原資不足、あるいは経営の先行きが不透明だから、非正規を雇うわけだ。格差を無くす方法は、正社員の給料・待遇を削るしかない。しかしそれは既得権益にかかわる問題なので、そう簡単に合意は得られないだろう。

 このように蓋を開けてみると、どれもセンシティブな議論ばかり。故に、働き方改革は政治家頼みではいつまでたっても動かない。これは逃げられない課題であり、議論を先送りしていけば、いずれ時限爆弾の爆発を待つのみである。

● 働こうとしない人たち

 昨年末、2018年12月29日付けのマレーシア英字メディア「スター・オンライン」がマハティール首相の取材記事を掲載した。氏はマレー人を優遇するブミプトラ政策に言及し、こう語った。

「マレー人を助けようと政府は施策などで行動を起こしている。しかし、マレー人自身が自己変革をもって価値体系を変えようとしない限り、すべてが無駄になる。政府はこれまで多くの政策を打ち出し、多くの援助を与え、マレー人に多くの機会とサポートを提供してきた。しかし残念ながら、マレー人は旧態依然たる現状に甘んじて変わろうとしなかった」

 マハティール氏はさらに語気を強める。

「われわれは働かなければ、収入を得ることができない。われわれは努力しなければ、進歩することもできない。マレー人は怠けものだ。私がこう言ったら怒られるだろうが、しかしこれは紛れもない事実だ。われわれが働きたくなければ、ほかにいくらでも働きたい人がいる。最終的に外国人労働者がこの国を占領するだろう」

 学者・研究者でもあるマハティール氏は最後にこう指摘する。「私はヒトの行動を研究してきた。成功または失敗、その原因を最終的に人間の文化や価値体系に見出すことができる。たとえば、チャイニーズは他者の助けをなくしても自らの力で成功できる」

 華人(チャイニーズ)の経済的優位性を牽制し、土地の子であるマレー人の地位向上を図るために、マレーシア政府は1971年からブミプトラ政策と称されるマレー人優先・優遇政策を取り入れた。しかし、今日に至るまでの経緯を見るかぎり、マレー人はこの政策によって状況が著しく改善されたわけでもなく、政策目標は実現できなかったと言える。

本当のことを言えないから嘘をつく
 それにしても、マハティール氏はよくもこんなことを直言できたものだ。日本の政治家がこのような発言をすればただちに「差別」と叩かれ、辞任に追い込まれるに違いない。

 本当のことを言えないから、日本の政治家は嘘をつくのである。

 経営コンサルタントの大前研一氏がこう指摘する。「正しさがすべての経営の世界と違って、政治の世界では、本当のことをいったら絶対選挙で当選しない、当選するには嘘をつかないといけないということ。今の日本では、政治家になるのは嘘つきになるということなんだよ」(「週刊ポスト」2011年4月29日号)

 なるほど、ある程度の嘘をつかないかぎり、選挙で当選すらしない。そして辛うじて当選した場合でも、嘘をつき続けざるを得ないのだ。できれば嘘をつきたくないという良心的な政治家は、真実や本当の考えを率直に言えない場面が多々ある。たとえ事実であっても、ポロリと口を滑らせただけで、「失言」が政治家にとって度々命取りになりかねないからだ。故に彼たちは時々刻々細心の注意を払って言葉を選び、戦々恐々としている。

 これでは議論にならないわけだ。殊に「働き方」とくれば、一人ひとりの国民の利益に直結するセンシティブな議題だけに、炎上したり爆弾に変わったりすることもあるからだ。とにかくこの議題には触れたくない。そういう状況だろう。

● 政治家たちの「働き方」

 私はあえて、嘘をつく政治家や寡黙な政治家たちを批判しない。彼たちの多くは生活の糧を得るために、あるいはもう少し裕福な暮らしを目指すために政治をやっているわけだから、一種のサラリーマン政治家である。彼たちの行動あるいは不作為を批判するのは簡単だが、もし私たちがその立場に置かれたら、果たして堂々とセンシティブな議論に挑むことができるのだろうか。そう自問したい。

 トランプ氏のような、ずけずけとものを言う政治家は外れ値的な存在だ。彼は巨財を有し、少々の富や社会的地位への欲求をはるかに超えた、超高次元の欲求の持ち主である。センシティブ・イシューであろうと、忌避することなく彼はずけずけとものを言い、異様な、いささか帝王的な存在をあえて誇示してきたのである。(参照:「1ドルで働く大統領の欲求とは」、「ずけずけ言う男、トランプ流の選挙マーケティング」)

 マレーシアのマハティール首相はトランプ氏ほどの巨財をもっていないにしても、ずけずけとものを言うところだけはトランプ氏に酷似している。

 一方で日本の場合、トランプ氏やマハティール氏のようなリーダーは生まれないだろう。そうした独裁的帝王型のリーダーを包容する風土は日本にないからだ。至る所に同調圧力がかかる日本社会において、政治家たちは自身の「働き方」を決めることすらできなくなっている。自らの働き方改革すらできないでいるのに、どうやって国民の働き方改革に取り組むのか。できるはずがない。だからこそ、働き方改革は民間が自らの力で行うべきであり、企業の人事制度というミクロレベルに着手し、つまりトップダウンではなく、ボトムアップの取り組みによって、真の働き方改革を実現するのである。

<次回>

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