● 論理的な誤認
「中国人の方ですよね」。――ビクトリアフォールズ国際空港の出発保安検査場では、たまたま前に並んでいた白人夫婦と目線が合ったので、「ハロー」と私が会釈すると、紳士のほうが親しげに声をかけてきた。
「いいえ、日本人ですが」と答えると、向こうはすぐに頭を下げて謝ってきた。「すみません。ラウンジ利用券をお持ちなので、中国人ではないかと、ついに口走ってしまいました。本当に失礼しました」。私のシャツのポケットから派手なラウンジ利用券が3分の1ほど顔をのぞかせていた。なるほど、ビジネスクラスを利用するアジア人はほとんど中国人だったのだ。
● 奇妙な空港ラウンジ食事
まだまだある。乗継ぎのエチオピア首都アディスアベバのボレ国際空港のラウンジでは、奇妙な食事が用意されている。それは豊富なラーメン・メニューとお粥である。なぜならば、中国人乗客がラウンジの主要利用者だからである。
エチオピアの首都・アディスアベバのボレ国際空港のラウンジで提供されているラーメン
今回のアフリカ旅行は往復ともアディスアベバ乗継ぎで、空港ラウンジでの滞在時間が長い。その時間を利用して周囲を観察していると、中国人ビジネスマンの客が多いことに気付く。彼らの胃袋を癒すためにも、ラーメンやお粥が必要なのだ。英語のできない中国人客は中国語で「メンティオ、メンティオ」(麺条=ヌードル)と懸命にラウンジ・スタッフへ要求する一幕もあったりする。通訳してあげると、「シェシェ」(謝々=ありがとうございます)と礼を言われた。
同じくボレ国際空港のラウンジで提供されているお粥
ラウンジの滞在中に、中国人ビジネスマンたちは時間を無駄にせず、ひっきりなしに業務打ち合わせをこなしている。隣席のグループの会話が断続的に耳に入るが、やはり案件進捗の確認や問題洗い出し、解決案の検討といった内容だった。一人旅の中国人ビジネスマンは、ラーメンをすすりながら、パソコン画面とにらめっこしてメールの処理に追われていた。
ボレ国際空港のラウンジで見かけた中国人ビジネスマン
そういう風景は一昔の日本人ビジネスマンにも見られたものだった。しかし、ここアフリカの空港ラウンジでは、ついに私は日本人ビジネスマンを目撃することはなかった。なるほどザ不思議が解けた。白人夫婦の判断にはしっかりした根拠があったのだった――。空港ラウンジを利用するアジア人は中国人である。
● アフリカを席巻するチャイニーズパワー
「ニーハオ!ラオバン」(中国語=こんにちは、社長さん)。空港だけではない。ナミビアやジンバブエ、ザンビア、そしてボツワナ、どこへ行っても、アジア人と見るや中国語の挨拶。なかに北方系中国語の独特な巻き舌までこなしている中国語達者な黒人もいる。どこで勉強したのだろうか。
アフリカを席巻するチャイニーズパワー。もはや日本企業が挽回しようとも遅きに失した感が否めない。いや、そもそも時期の問題ではない。構造的な問題なのだと思う。
● 官民一体のヒエラルキー中国人社会
前編にも述べたように、アフリカに進出する中国企業・中国人は4つのグループに分類できる。
おさらいすると、第1グループは政府や大手国有企業、つまりスーパーアッパークラスとなる「官」である。第2グループは「民」のアッパークラス、あるいはミドルクラスとなるが、第3グループはもっとも地位が低く、労務輸出対象となる単純労働者で「ロアクラス」に当たる。そして第4グループは自営業者やオーナー系零細企業中心でこれもアッパーからミドルまで網羅している層である。
官民一体のうえ、全クラスがそれぞれの役割分担を明確に引き受けている。そもそも、中国社会それ自体もヒエラルキー社会であるから、違和感なくそのままの構造をアフリカという進出先に複製や移植しているだけではないかと。たった1つの相違点があるとすれば、それはアフリカにおいてより緊密な官民一体感が見られることだ。
● 日本企業がなぜ勝てないか、構造的異質性
中国という社会全体的なヒエラルキー構造に対して、日本社会は均質的なフラット社会である。全階級を総動員して海外進出するなど、あり得ない話だ。そして組織の最小単位も異なる。日本の場合は基本的に企業単位だが、中国は個人や家族単位が最小単位となるため、非常に動きやすい。つまり日本の組織よりはるかに機動性に富んでいるのである。
そのうえ、意思決定の構造も全く異なる。中国企業は独裁性が強く、意思決定のスピードも速い。情報収集や処理の不十分からもたらされるリスクはあるものの、それも後続の試行錯誤によって速やかに軌道を修正していく。しかし日本の組織はまず責任所在の問題がプライオリティーとなり、潔癖的にすべてのリスクを排除しようとするから、時期や機会をどんどん逃してしまっている。
中国式の組織は概ね戦略といった大枠づくりに強いが、ディテールに弱い。これと反対に日本的組織は細部にこだわりすぎて、ついつい全局観や俯瞰的目線を喪失する。フロンティアへのアプローチという段階までくると、中国式の組織に有利であることは言うまでもない。たとえ失敗しても敗者が淘汰され、また次の挑戦者に取って代わられるだけで困ることはない。しかし、日本的組織にとって、失敗は許されないから、最初から失敗してしまうのである。
● 「落地生根」と「落葉帰根」
メンタル面の相違も大きい。特にアフリカでは二流以下で無名な中国企業や個人で裸一貫からのスタートが多く、退路を断ってのアフリカ進出になれば前進するのみ。その生命力、サバイバル力は凄まじい。日本人の場合、事業が失敗すれば「撤退」や「帰国」といった選択肢が常に用意されているから、メンタル的なぜい弱性がどうしても目立ってしまう。
中国語で「落地生根」と「落葉帰根」という2つの熟語がある。前者とは祖国や故郷から遠く離れた地に根を下して、異国を本拠地として強く生きていくこと、後者とはどんなに地上高い樹の葉でも、いずれは地に落ち根に帰ること、つまり人は最期、遺骨だけでも故郷へ帰ることを意味する。
こうして、アフリカでは、日本企業はそもそも中国人に太刀打ちできるはずがないのである。
<終わり>